PR

 ビジネスのアイディアを生み出す最上流の部分では自分自身の積み上げてきた感性をうまく使うことが推奨されているようです。ただし、そのアイディアを組織の中でうまく説明しながら煮詰めていったり、競合相手や市場を分析する場合は、直感・山勘に頼ったり情に流されたりするのではなく、きちっとロジカルにやった方がよい。でも最後、「とどのつまりやるのかやらないのか」という英断を迫られたときには、自分自身の直感という暗黙知をうまくハンドリングして違和感のない結論にしましょう。まあ、そんな使い分けのようです。

 このうち感性や洞察は、今も昔も大切さが語られ続けてきました。これに対して、ここ10年ほどで台頭した新興勢力がロジック派です。

 バルブ期の80年台後半ごろから、企業派遣による欧米大学院への社費留学制度が活発になりました。就職戦線が売り手一色の市場状況だったこともあり、新卒リクルート対策の意味合いもあってそれが流行ったのです。こうして、ビジネススクールでのMBA修了者の第一世代とも呼べる人材が生まれました。

 その後バブルははじけ、失われた10年とも呼ばれる90年代を迎えます。自信喪失した日本が従来の仕事のやり方に限界を感じ、全般的に欧米の企業運営手法を取り入れなくてはならないという恐怖に駆られた時代です。このころから、ISOに始まる各種ERPパッケージがIT化の潮流に乗って繰り返し押し寄せてきました。米国風のシステマチックなロジック思考の絶大な威力を体感したMBAホルダーたちはその後も更に量産され、彼らの一部はあたかも伝道師のごとくロジック教の布教活動を始めたのが2000年頃からというからくりになっているようです。

 「グローバルスタンダード」というキーワードもこの流れの中に見え隠れしています。表面上のシステムだけでなく、脳みその使い方、業務を遂行する思考パターンまでも洋風なロジカル派に順じなくては世界の流れについていけないかも、という考え方です。

 ここで、先ほど述べたロジック脳と感性・直感脳の使い分けについてもう一度話を戻します。ビジネスアイディアを思いつくところと最後に英断を下すところは感性系で、それ以外の一連のビジネスプロセスについては論理性を重視しましょうという使い分けである、と書籍の統計は語っていました。言い方を変えると、何を話すのかというコンテンツ、つまり素材となるネタの「What」については感性で、それを書類のように形式知化したり、比較分析したり、人に伝えたり、議論したり、説得したりと料理していく過程、すなわちプロセスの「How」の部分では論理性だということのようです。

 この論理性=How重視は、ビジネス書の世界に限らず社会全般を覆っている気がしなくもありません。例えば、去年の流行語一つにKY(空気読めない)というのがありました。若者社会の中で空気を読めない奴に対する風当たりは強まる一方です。読めない者はいじめの対象となりますから、みんな必死になって集団の空気をいち早く察知してうまく長いものに巻かれるというワザを小さい時分から身につけることを求められるのです。先が不透明な世相にあっては、自分の才能や力量で切り拓いていくことより、周りの変化に即応する能力の方が重要になるのかもしれません。

 ちなみに、博報堂生活総合研究所が2004年に実施した10代の男の子に対する意識調査結果では、好感が持てる男の子の筆頭は「他人に配慮ができる人」で、逆に嫌いな男の子のタイプのトップは「場の空気が読めない人」という結果が出ました。この流れが昨年流行語になったKYにつながっていくわけです。若者ですらもはや個人の能力を誇示する時代ではなく、中間管理職のように調整能力が求められている時代のようです。

 こうして、近頃の若いモンは幼時からHow能力開発を求められることになります。空気を読んで相手の気持ちを推し量り、コミュニケーションを円滑に総意をまとめ上げる子供たち。大きくなって会社に入ると今度はロジカルスキルセットを体系的にトレーニングされ、ますますプレゼンやディベート、ネゴシエーションのプロとして熟達していくのでしょうか。

 「何を言うのか」ではなく「どう言うのか」の能力を肥大化させた彼らは、その能力をもって何について語るのでしょう。調整するプロばかりが増産された結果、中身の薄いコンテンツを延々と議論するという不毛なことになりはしないかと、ちょっと危惧を抱いたりしています。美しいパワーポイントの資料で、整然と理論立てて説明された結果,なんとなくわかったような気になるんだけれど何か釈然としない、詭弁で騙されたような気がするという話はよく耳にします。うまく整理されているんだけれど、要するに大したこと言ってないじゃないかという話です。

 よく「日本人は議論に弱い」と言われます。国際シーンでは言語的なハンディもあるのですが、それだけでなく自分の意見を論理立てて明確に強く主張することが苦手な傾向は認めざるを得ません。これまでの「ロジックに弱い」という気質も少なからず関係しているでしょう。もともと口八丁手八丁という言葉がネガティブな表現として用いられるように、「いい仕事をしていれば、いつか相手はわかってくれる、市場は評価してくれるはずだ」という奥ゆかしい価値観が私たちの中で受け継がれてきました。コミュニケーションでも、多くを語らず「男は黙って・・・」と不言実行が美学とされてきました。

 平成不況を経てグローバルスタンダードの美名のもと、その価値観が揺らいでいます。デファクトスタンダードだとかM&Aだとか勝者の理論で来られると、「謙虚の美学」などと優雅なことは言っていられなくなるのでしょう。

 ただ、今も世界に誇る「日本のものづくり」を語るとき…(次のページへ