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 今回(第6回)、ようやく栗林中将の二面性について考えてみたい。連載当初に書いた「二面性を持てた理由●栗林中将が理詰めで考え抜くとともに、何が何でも日本を守るという気概を持っていたこと」という一文は、二面性そのものを書いているだけで、理由の説明になっていない。考えるべきは、「理詰め」と「気概」という時には矛盾する二面性を抱えたまま、見事な指揮を執れた理由である。

二つの自己認識が相伴う

 栗林中将は「理詰め」と「気概」の二面性のみならず、鉄石の統率をする軍人と子煩悩の父親という二つの面を備えていた。27歳の時、栗林は「國民思潮ノ推移ト軍隊精神教育ニ就テ 附吾人將校ノ覺悟」という論文を発表した。『常に諸子の先頭に在り』にその一部が引かれている。「國民思潮ノ推移」とは、第一次大戦後に軍隊蔑視の風潮が広まったことを指す。論文の目次を見ると、「吾人將校ノ反省自覺」が必要と書かれ、下士卒には「我國體ノ尊厳ヲ説述スヘシ」「勅諭ノ御趣旨ヲ貫徹セシメヨ」「軍紀ヲ一層緊張スヘシ」と言った「精神的指導」をすべしと述べている。続いて「將校ノ覺悟」として、「人格ノ修養ト實力ノ養成」「仁愛」「禮儀」「率先躬行」を列挙している。

 『常に諸子の先頭に在り』には、中学を卒業し士官候補生になる直前、栗林が卒業記念写真の裏に「邦家ノ將来ハ果シテ誰ノ雙肩ニカカル 皆吾等ノ雙肩ニ在ルニ非ズ哉」と書いた逸話も記載されている。栗林は新聞記者を志望した時期もあったそうで、文章を書く事が好きであった。

 これらの文章はざっと90年前に書かれたわけだが、同じ日本人であるにも関わらず、筆者はカタカナ交じりの文語文をうまく読む事ができない。無論、書く事もできない。そもそも自分が27歳であった時、「記者ノ覺悟」として「人格ノ修養ト實力ノ養成」が大事だなどと考えなかったし、学生時代に「邦家ノ將来ハ吾等ノ雙肩ニ在ル」とも思わなかった。

 栗林中将は54歳で戦死する時まで、30年近く前に自ら書いた文章の通りに生き、「日常の生活で己れの我儘を封じ」続けた。その一方、硫黄島で指揮を執りながら、ごく普通の家庭人が書く手紙を家族に送り続けた。自らの弱みに触れた次のような手紙が残っている。「島の将兵は皆覚悟をきめ浮ついた笑一つありません。悲愴決死其のものです。私も勿論そうですが、矢張り人間の弱点かあきらめ切れない点もあります。それも結局妻子がどうなるだろうか?の一点です」。

 若い頃から「將校ノ覺悟」を決め、「強固な精神力を養う事を絶えず考え」努力してきた栗林であっても、妻子を「あきらめ切れ」ず、しばしば夢に見た。留守教授は、T.S.エリオットの次の言葉を引き、「二つの自己認識が相伴」ってこそ、人たるものとして全うな生き方が出来ると書いている。

 己れが如何なる人間かを知らぬ限り、如何にあるべきかを理解する譯にはいかないし、如何にあるべきかを知らぬ限り、如何なる人間であるかを知る事も出来ない。我々は如何なる人間か、そして如何にあるべきか、この二つの自己認識は相伴わなければならないのである。(『宗教と文学』、早稲田大学出版部、臼井善隆訳)

 つまり、立派な軍人で「あるべき」と知っていたから、家族のことを諦めきれない人間「である」事を弱点と書けた。同時に、弱点がある人間「である」事を知っていたから、立派な軍人で「あるべき」事を理解していた。理想を持たないと現実が見えてこないし、現実を理解してこそ理想を掲げられる。「二つの自己認識は相伴わなければならない」所以である。