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天職だからこそ

 栗林中将は、合理精神と鉄石の統率、あるいは鉄石の統率と家族思い、という二面性をいかにして両立できたのか。一連のコラムを書くために、硫黄島決戦や栗林中将に関連する本をかなり読んだが、「なぜ栗林中将はかくも見事な指揮がとれたのか」という点について正面から論じた本はほとんど無かった。多くはその戦いぶりと部下思い家族思いを讃える事に留まっている。強いて探せば、アメリカ駐在時代に合理的な考えを身に付けた、愛する家族がいる日本を守るためにあそこまで徹底して戦った、といった記述がある程度である。これらはいずれも正しいのだろうが、それでは「立派な人だから立派だった」と言っているだけで二面性の理由を説明しきれていない。

 一連のコラムおよび今回も紹介している『常に諸子の先頭に在り』はその点に踏み込んだ唯一の硫黄島関連本と言ってよい。また意外なようだが、アメリカ海兵隊について書かれた本から、栗林中将が二面性を維持できる理由を読みとれる。ここから先は厄介な話になるが、これまで本コラムを読まれた方はぜひ最後までお読み頂きたい。

 栗林中将が合理精神と封建的忠誠心という二面性を併せ持ち、戦史に残る見事な指揮を執れたのは、軍人という仕事が「天職」だったからである。天職は天から授かった職業という意味で、天とは欧米人の場合、神を指す。留守教授の説明によれば、職業を意味する英語callingは本来、神の召命という意味を持つ。ここで脱線すると、プロフェッショナルという言葉は「信仰を告白した人」を意味し、やはり神と関係している。先日、プロフェッショナルについて「ITproは専門家にあらず」というコラムを書いたので関心のある方はご覧頂きたい。ITと付いているが、コラムの主旨は「プロフェッショナルと専門家(スペシャリスト)は違う」というもので、コンピューターとは何の関係もない。

 話を戻す。留守教授は、マックス・ヴェーバーの『職業としての政治』を引用しつつ、天職を自覚したものは「自己を超える何ものかのために奉仕すべく、『いかなる希望の挫折にも耐へられるやうな堅い意志で武装』した英雄や指導者」のように振る舞うと書いている。第5回で紹介したアメリカ海兵隊の軍人達はいずれも天職を全うしたプロフェッショナルであった。筆者が第5回に書いた一節を再掲する。

 「常に忠実であれ」は海兵隊のモットーであり、新兵の猛訓練で知られるブーツ・キャンプの入り口には、「海兵隊員になるために、自己、同志、隊、国、そして神に変わらぬ忠誠」と書かれている。忠誠を誓う対象として、ここには自己も含まれているが、さらに自分以外の何者かへの忠誠があってこそ、理屈を超えた活動ができ、そしてここが重要なところだが、理屈にも強くなるのである。

 なにしろ、「何ものかのために奉仕すべく、いかなる希望の挫折にも耐へられるやうな堅い意志で武装」するから、何ものかに奉仕するという目的を達成するために、徹底的に考え、合理的な行動をとれるようになる。逆に、奉仕すべき理想がなく、弱い意志のまま武装解除してしまったら、すべては成り行き任せでいいことになり、合理精神を発揮する必要は無い。