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「股肱の臣たる自覺と矜持」

 玉砕必至の硫黄島に赴任した栗林中将にとっては、「いかなる希望」も「挫折」していたが、それに「耐へられるやうな堅い意志で武装」し、指揮を執り続けた。栗林中将にはアメリカ海兵隊と同じように、「自己、同志、隊、国」への忠誠があった。日本人である栗林中将には「神に変わらぬ忠誠」は無かったが、そのかわりに「天皇に変わらぬ忠誠」があり、それが栗林中将を支えた。留守教授は「栗林中將は深い教養の持主だつたが、一朝有事の際、天皇のために命を捨てる股肱の臣たる自覺と矜持は、彼の人格の大きな主柱をなしてゐた」と書いている。

 先に紹介した「國民思潮ノ推移ト軍隊精神教育ニ就テ 附吾人將校ノ覺悟」の中で、栗林中将は次のように書いていた。「我帝國ハ成立世界各國ト根本的ノ差異ヲ有シ皇室ヲ大宗家トスル一大家族ニシテ、君臣ノ義父子ノ情ト異ナラス、忠孝一途三千年来嘗テ變ルコトナシ」。栗林中将は立派な軍人で「あるべき」という理想を抱いており、それはすなわち「三千年来嘗テ變ルコト」のない「忠孝一途」を果たすことであった。

 硫黄島戦で栗林中将が最後の攻撃に撃って出て戦死したのが1945年3月26日、それから63年近く経った2008年2月末に、「皇室ヲ大宗家トスル一大家族」とか「君臣ノ義」などという言葉を紹介していると、「時代錯誤も甚だしい」と思われる読者もあろう。念のため書いておくと、天皇を崇拝しないといい仕事ができない、などと主張するつもりは全く無い。筆者自身、そうした信念を持っていない。

 それでも「自己を超える何もののかのために奉仕すべく、振る舞う」ことがないと、いい仕事はできない、という理屈は正しいと思う。先に書いた通り、何らかの理想がないと、合理精神と根性、「あるべき」自分と「すでにある」自分という二つの自己認識を相伴わせることは難しい。

 今や、「天皇に変わらぬ忠誠」を誓っている日本人はどのくらいいるのだろう。「同志、隊、国」に対してならば忠誠を誓っているだろうか。一頃は「同志、隊」ならぬ会社組織に忠誠を誓っていた訳だが、これはどちらかというと昔ながらの共同体に属していた恰好であって、「自己を超える何もののかのために奉仕すべく、振る舞う」ことにつながるとは限らない。国はどうか。栗林は「國體ノ尊厳」と書いていたが、「國體」は今日「国体」になってしまい、それはともかくとして、尊厳を感じるかと聞かれるとこれも難しい。

 国体は、主権の存在により区別された国家体制の事だが、広辞苑は「国家の状態。くにがら。くにぶり」という意味を筆頭に記載している。つまり日本社会の風土とか歴史とか文化と考えて良い。しかし、それに対して「変わらぬ忠誠」ないし尊厳を感じるかとなると、やはり難しい。ご先祖様はどうか。栗林中将は立派なご先祖様の一人だが、先に書いた通り、わずか90年前に栗林が書いた文章やそこに盛られた考えすら理解しづらくなっている。筆者は本原稿をパソコンのワードプロセサ・ソフトを使って入力している。栗林中将の文章を入力するには、文字パレットを出し正漢字を探し出して入力するという、かなり面倒な作業をしなければならない。断絶は感じても、栗林中将が身近にいる感じはしない。

 これに対し、欧米人は依然として「神に変わらぬ忠誠」を誓っている。インターネット時代だの、グローバリゼーションだの言われる昨今においても、とりわけヨーロッパを見るとEUとは言いながらも各国の「國體」はしぶとく、ソ連の崩壊以降、昔の國體が次々に復活している。ピーター・ドラッカーは「この200年を見るかぎり、政治的な情熱と国民国家の政治が、経済的な合理性と衝突したときには、必ず政治的な情熱と国民国家のほうが勝利してきている」(『ネクスト・ソサエティ』、ダイヤモンド社、上田惇生訳)と書いている。そして英語圏の場合、90年前どころか、500年前に書かれた文章であっても現在、ほぼそのまま読め、歴史上の偉人が現在でもすぐそばにいるのである。

 日本が欧米のような状況になることは有り得ない。それでも、栗林中将が持っていた二面性を同居させる力を備えるべきである。ただし、その方法は各自が模索するしかない。

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 栗林中将と硫黄島戦についてのコラムは今回で終わりである。書こうと思いたったのは、2006年9月であったから、それから書き上げるまで1年半もかかってしまった。コンピューター関連の記者を長年やってきた筆者にとって、軍事や宗教のことを書いたのは初めてであり、かなり苦労した。またしても言い訳になるが回を追うごとに書きづらくなっていった事は否めない。  そして、本コラム『さよなら技術馬鹿』そのものも今回をもって最終回にさせて頂く。硫黄島コラムを書き出してから、更新時期が滅茶苦茶になり連載の体をなさなくなっていた。Tech-On!編集部と相談した結果、一旦終了させたほうがよろしかろうという事になった。これまで読んで下さった読者の方々、そして好き勝手に書く事を認めてくれたTech-On!編集部に篤くお礼を申し上げる。

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