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 では、それほど高名な画家の絵が、なぜこれほど安いのか。これは不思議である。この点を美術商に質してみると「いやぁ、いい絵だね。昔は高かったもんだよ。でも最近はだめ。こういう描き込みの少ないというか手数が少ないっていうか、そういうのって高く売れないのよ。同じ作家でも、綿密にしっかりと書き込んだ絵ならばもっと高い値段がついていたと思うけどね」などという。美術品の値段は人気次第。求めるが多ければ高く、いなければ安い。つまり、このような絵を評価し欲しがる人は絶えていなくなってきているらしい。

 そういえば最近、似たような話を江戸時代から続く京都の陶芸大家を取材させていただいた際にもうかがった。その家の歴代の作品をみると、例えば茶碗に絵をあしらったものでも、昔のものは絵や模様もちんまりしていて、あっさりと色数も少ない。つまり、余白を生かした絵付けになったものが多いのである。ところが、近世のものになるほど絵は華やかになり、絵の面積がどんどん増え、外側だけでは飽き足らず、内面も絵をあしらう例が多くなってきた。「いや、私たちがそうしたいと思っているというわけではないんです。お客さんがこうしたものを求めるようになったんですね」と陶芸家はいう。ここでいうお客さんとは、陶芸家にとってのお客さん、つまりは美術商などのことである。

土製の茶碗がウン億円

 そうなのか、ということでその真意を美術商にうかがうと、「そりゃ絵の量が多いほど売りやすいからよ。ほら、沢山仕事しているでしょ、だから高いんですよってお客さんに説明しやすいでしょ。そんなもので、作家さんに新作をお願いするときもなるべく絵を沢山とか注文を出すことになるんだよね」という。つまり、製作コストがかかっていることがよくわかる作品ほど高く売りやすいのである。絵の面積が広く、細密で、色数も多いほどいい。そこへ金などふんだんに使っていれば申し分ない。高価な素材を使えばそれだけコストが高くなり、高価である理由が説明しやすくなるからだ。

 金で思い出したが、以前に某財閥家の旧宅を見学させていただいたとき、こんな話をうかがったことがある。その邸宅は終戦後、米進駐軍に接収されたのだが、その際に調度に施されていた蒔絵(漆に金粉を蒔き模様を描き出す技法)の部分をずいぶん剥ぎ取られてしまったのだという。「金の価値に目がくらんで、進駐軍の軍人さんたちが剥ぎ取っていったようです。そんな量の金なんて、いくらの値段でもないのにね」と、案内役の方はいかにも無念そうに言っておられた。本当は「だから野蛮人は困るんだ」とでも言いたかったのだろう。