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 蒔絵の価値は金の価値ではなく、技術の価値である。蒔絵に限らず、そもそも、芸術作品や工芸品の価値は、素材の値段や製作コストとは無縁のものであるはずだ。焼物の例でいえば、千利休と相謀って創作されたとされる黒楽茶碗など、桃山時代の楽焼初代、長次郎が製作したものの真作なら、軽く数千万円、傑出した作であれば億の値段になるだろう(関連記事)。これなど、絵はないただ黒いだけの茶碗で、コストといえば土代と釉薬代、炭代くらいのものなのに。掛軸でも同じ。日本には、何といっても「書」という芸術分野がある。たとえば、江戸後期の僧、良寛さんの作品なら、そのへんの反故紙にちょろちょろと書いた手紙などでも、真作であればウン百万という値段がつく。

ビニールでもウン十万円

 ざっとこのように、美術館やよほどの美術愛好家でないと購入しないような作品に関しては、今でもコストとは無縁の値付けがされている。ところが、もう少し広い層が収集するような美術品や工芸品の分野では、なんだかじわじわと「コスト主義」が侵略してきているような気がするのである。コストを気にしつつ、そもそもコスト主義の下では存続し得ないはずの美術品を買うというのは、何とも矛盾している話だと思うのだが。

 そもそもコストは、工業製品などの分野で重きをなす価値観である。もちろん需給バランスも大きなファクタとなるが、工業製品ではコストが価格を決める重要な要素になることが多い。ただし、すべての工業製品ではない。例外的存在として、「高付加価値商品」と呼ばれる、工芸品にも似た性格の工業製品群がある。

 こうした話題でよく引き合いに出されるのがルイ・ヴィトンのバッグだが、本体の素材だって「xx産牛のxx部分だけを丹念になめした」などというものではなく、ビニールのような合成素材だったりする。金具だって金とかではないし、ケタ違いに手間のかかるような何かがしてあるわけでもない。だけど高価で、それを求める人は後を絶たない。Rolexの腕時計などもそうである。ステンレス・ケースのものが、金ケース、文字盤に宝石をちりばめた国産時計より高価だったりする。もちろん同一モデルであれば、ステンレス・ケースより金ケースの方が高価かもしれない。けれども、Rolexが一般的な国産時計などより高価なのは「素材が高いから」「製作コストが高いから」ではなく、「カッコイイ」「それだけの価格を払っても手に入れたい」と思う人がたくさんいるからだろう。

 こんな話をしていると、しばしば「ブランドだからね」とか「知名度の差でしょ」というところに行き着いてしまう。さらに言うとすれば「だからしょうがない」ということで、そこから先に思考が進まなくなってしまうのである。確か、大阪府知事選で橋下氏に敗れた某候補も、その敗因を「知名度の差」と自己分析されていた。「だから、負けたとしても自分の実力が低かったわけではない」と言いたかったのかなどと勘繰ってしまう。