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日本で高付加価値品は無理?

 それだけならいいが、「ブランドでしょ」「知名度でしょ」という発言に敬意というより蔑みの臭いを感じることがしばしばある。「すごい」と思えばそこから何かを学ぼうという気にもなろうが、最初から見下しているようでは「その構造を理解し、そこから学ぶものがあれば汲み取ろう」などという気はついぞ起きはしないだろう。理由がブランドであれ知名度であれ、この「コストで価格は決まらない」ということは高付加価値商品の要件であり、それは国際的にみて圧倒的に人件費が高くなってしまった日本にとっては「ぜひともものにしておかねばならない」と多くの方が指摘されている必須科目なのに。

 高付加価値への転換。そう叫ばれて久しいが、思惑通りにことは運んでいるのだろうか。少なくとも、ルイ・ヴィトンのライバルになるほどの日本発ブランドは生まれてはいない。高級車ブランドの確立に向け不断の努力を続けている自動車メーカーもあるが、まだ道半ばであるようだ。そんな足踏みが続いているからか「そもそも日本メーカーに高級ブランド品は無理」といった意見も散見されるようになった。

 無理とは思わないけれど、これだけやりつつ結果が出ないのだから難しいのだろう。それはなぜなんだろうと考え続けてきて、一つ思い当たったことがある。それは、日本の工業製品の歴史である。

それは、日本の工芸品がキッカケだった

 ちょっと長くて退屈な話になりそうだが、とりあえず時計を19世紀末まで戻してみたい。その時期、欧州で「アールヌーヴォー」と呼ばれる一つの芸術様式が生まれた。それは当時欧州に広く紹介されるようになった日本の工芸品から大きな影響を受け生まれたものだったが、この流行は欧州を覆いながら大きな芸術運動へと発展していく。様式というものが「芸術は高度な技能を持つものしか生み出せない」「だから特定階層(当時の欧州では貴族階層)の人たちしか持てない」という状況を打破するという考え方で、この系譜としてウィリアム・モリスの「アーツ・アンド・クラフツ」などの芸術開放運動が生まれ、それは社会主義運動と結びつきつつ単なる芸術運動から思想の高みにまで昇っていく。

 その運動は、日本にも逆輸入されることになった。その代表的なものが、アーツ・アンド・クラフツなどに触発されるかたちで生まれたとされる「民芸」である。昭和初期に柳宗悦が提唱したもので、民芸とは文字通り民衆の工芸を指す。高名な芸術家が生み出し特定階層が独占してきた工芸品ではなく、「貧しい無名、無知の工人」が民衆のために作ったものにこそ「正しい美」が宿っていると柳は考えた。この思想は、それに賛同する芸術家たちの卓越した力量もあって、工芸分野を中心に大きな影響力を保持し続けることになる。そして現在でも、その力は衰えてはいない。