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 偉いけどヒマな幹部が大勢いる会社などは大変だろう。勝手にやると「俺は聞いてない」などと言われてしまうから、みんなを呼んで会議など開き披露する。何しろ面々はみな偉い方たちだから、自分に自信がある。当然、そんな自分がわざわざ時間を割いて足を運んできたわけだから、苦言の一つも言わなければならない。で、みんなが思いついたことを脈絡もなく言い募り、挙句に、「じゃあそんなことを盛り込んで」とか下に無茶振りする。下は下でお偉いさんの言うことは無視できないから、そのすべてを盛り込んで製作者に修正要求を出す。その結果、コンセプトはボケボケになり、毒にも薬にもならないものが出来上がってしまう。

 何も、外部のデザイナーなどを起用する場合に限らない。ある部署が提案した画期的な製品企画案が、ぐるぐる社内の会議にさらされていくうちに、何だかよくわからないものになってしまうなどということが日常的に起きているはずだ。そのようなことが繰り返されていれば、そもそも画期的な提案など言い出す人がいなくなるだろう。

 こんな話を聞いたことがある。ある動物園で象を飼っていたのだが、どうみてもその囲いの柵は華奢で低く、巨体の象なら体当たりすれば簡単に壊れそうだし、頑張ればまたげそうでもある。どうして逃げてしまわないのか。そんな疑問を飼育員にぶつけてみると、意外な答が返ってきた。確かに、本気になれば簡単に柵は乗り越えられる。けれども、決してそうはしない。その象は、ちいさな小象のときからそこに飼われていて、その頃は何度もそこを越えようと体当たりしたりもした。けれど、いつも自分が痛い思いをするだけで、小さな象にその柵は壊せない。やがて、あきらめる。こうして、自分の体がその柵を十分に壊せるほど大きくなっても、決してそれにトライしようとはしなくなったのだという。

鬼と神

 組織の体質という柵は、ときとして異能の芽をつむ。これが続けば、せっかくの異能軍団も、いつしか凡庸でことなかれな人材組織へと変貌してしまうだろう。

 それ以前の問題もある。ある米国の経営学者によれば、社内には周囲から白い目でみられ、上司からは疎まれるような人物がまま存在し、その中には際立った能力を持つものが多く含まれている。けれど、「扱いにくい」「理屈が多い」「態度が横柄」といった理由で、そのような人たちは疎外されがちだ。しかし、扱いにくいから外すというのは、「楽をして高い給料をもらいたい」と望む管理職や経営者の怠慢である。異能の人を生かすか、嫌いだからと排斥してしまうか。その差が企業の競争力の差になるのだと。

 稀人(まれびと)という言葉がある。民俗学者の折口信夫がよく取り上げていた言葉だが、古代の日本人は、「外界からやってきて祝福を与えてくれるもの」と考え、神格を与えた。稀なるもの、つまり「異」なるものは鬼であり、神でもあるのだ。この「異」なるものを怖れるあまり対応を誤れば、それは鬼となり禍を及ぼす。しかし、それを進んで受け入れれば、鬼はたちまち神となり必ずよい報いをもたらす。古人は経験から、そう結論付けたのだろう。