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 色数も、12とか24とか西洋の「ダース」文化におもねって決めるのでは面白くない。うーん、日本的な数・・・、あ、そうだ、17だ。17色でいこう。17というのは聖徳太子が定めた憲法の数である。しかもその数字には確か深遠な意味があったはずだ。仏教で9は天、8は地を意味する。それを足し合わせ、天と地とで17。おお、いいではないか。だいたい17なんて数字自体が謎めいている。思わず「なぜ17なんだ」と突っ込みたくなるだろう。それがいいのだ。しかもこの、聖徳太子というのも、あやかれば儲かりそうで縁起がいい。あ、でも若い人は知らないか、聖徳太子が1万円札の別称だったなんて。

 で、もちろん書き心地にもこだわりたい。伝統的な筆は、筆圧に極めて敏感な道具である。それに倣い、できるだけ繊細な筆圧で濃淡をコントロールするようにしたい。限界まで柔らかくした芯を使うということか。でもそれはさすがに弱そうだ。であれば、芯を二層構造にすればよい。饅頭のように、柔らかくてもろい中心部を強度のある同色の芯材で包むのだ。日本刀の構造にも似て、それもカッコいいではないか。

それでもコアは変わらない

 そして、塗装。漆は漆でも、一閑塗なんかはどうだろう。生地の上に和紙を貼り、その上から漆を塗るのである。こうすることで、漆の表面にとても繊細な凹凸ができる。これが、あのギラギラした光沢感を消し、奥深さを醸すのである。ついでに、木地もシダーとかでなく国産固有種の材料にしたい。北山杉とかどうだろう。そうそう・・・

 こうして、思索の暴走は深夜に及んだ。ここまでくれば暴走というより妄想である。けれどもやっぱり、「ボリュームゾーンで闘うのはやめた方がいいのでは」というコアのコンセプトは、細部の妄想系アイデアが実にくだらないものだとしても、やはりどうしても動かせないものなのではと思う。ここでの血みどろの闘いは、1対1の闘いではなく、1対多の勝ち抜き戦である。しかも、敗者が退場しても新たな挑戦者がいつまでも現れ続ける。まぐれや目くらまし的な策で勝ち続けることは不可能で、結局は強固な覚悟と群を抜いた体力(資金と人的資源)を合わせもつものしか生き残れないのではと思うからである。

 そのようなフィールドからは身を避ける。その大切さを私が学んだのは、冒頭で紹介した「頭が丸い鉛筆で手ひどく叱られてしまった事件」の後のことだった。