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 などと青臭いことを言って、現役の技術者の方からお叱りを受けることもあります。勿論技術者だって人の子、人の親、現世利益は欲しいものです。武士は食わねど高楊枝では時代遅れかもしれません。ただ同時に、衣食足りたわが国の近頃の就職戦線において、立身出世でなく最初からNPOを志向する若者が増えている、ということもあります。それも就職難だからではなく、引く手あまたの優秀な学生の中にもそのような層が出現し始めているという事実もあることを申し添えておきましょう。豊か故に生まれた伝統の職人気質の継承者かもしれません。

 本来ならば、メーカーも原点に戻って、自分とは一体何者であって、他社と何が違うのかをしみじみ考える必要があるかもしれません。そして「自分たちが本当に作りたいものって一体なんだろう」という問いかけをすべきかもしれません。しかし、事ここに至って現実的には大変な話です。熊本氏も以前の大手総合電機メーカーでの社内改革を目指して悪戦苦闘した結果、最後にはスピンアウト・独立起業を選択せざるを得なかったという実態がこの難しさを物語っています。

 熊本さんが最も心配するのは、技術者や企画者たちのやる気の喪失という点です。「自分たちがワクワクするようなものを作ってみたい。しかし、世に問うてみたいモノの提案にいくらチャレンジしてみても、結局は丸め込まれてモノ売り理論に挫けてしまうというトラウマ。敗戦経験を繰り返すうちに、いつの間にか負け犬根性が染み付き、それはやがて諦観に変わっていく…」。創り出す側の人々の誇りを失わせるメカニズムが働いていると彼はいうのです。使命感や充実感に輝いていない父(母)や兄(姉)を見ている子供たちに、技術を目指せと言っても空しいばかりです。国の宝であるところの、職人文化の直系の継承者である技術者の誇りを取り戻さねばなりません。そのためには、いびつに歪んでしまった、メーカーと顧客の関係性を正常に戻す必要があるのではと思うのです。

 巨額の資本が求められる高度な先端技術開発を担う、製品の中身の方を作る大企業と、その大企業インフラや技術資産を利用して、作る側が本当に作りたかったデザインを考えるリアル・フリートのような企業。戦略や歴史、事業規模、経営環境やターゲット顧客もまるで異なる両者を、軽々に同じ視点で比較することはできません。

 しかし長い目で見て、道具のコンセプトを考え、デザインとして高付加価値にするアマダナブランドのようなビジネスモデルは、日本の進むべき方向性とフィットしていると思うのです。同社がビジネスとして大きく成功し、これに続く企業が数多く現れる時、大企業の中からもスピンオフやカーブアウトするブランドが認められるようになるでしょう。