日経エレが目撃した電子産業・歴史の現場
目次
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【電子産業史】年表:1971年~2007年
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【電子産業史】2007年:電機メーカー再編
「緩やかな衰退」か「勝利の方程式」か
「つまり,緩やかに衰退するのを待っているんですよ」 取材先の発言が,記事の方向に大きく影響することがある。この一言もそうだった。なぜ日本企業は,現在の窮地から鮮やかに復活する,大胆な戦略を実行できないのか--我々の疑問に対して,元大手電機メーカーの経営幹部が出した答えがこれだった。
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【電子産業史】2010年以降を目指して
主役は機器からサービスへ,価格競争より独り勝ち
今後の数十年で,電子産業はどうなるのか。この問いに明快な答えを出せる人間はいない。一つだけ言えそうなのは,これまでの常識の延長線上に,これからの未来は描けないことである。産業発展の方向性や基礎になる技術,企業や技術者の在りようまで,従来とはガラリと変わってしまいそうだ。
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【電子産業史】2006年:競争力の源泉
際立つ部材力に,技術・経営を学ぶ
2006年,デジタル機器の世界的な需要拡大で部品・材料が逼迫。5月某日,大手材料メーカーの役員から電話がかかってきて「編集長に代わってくれ」。おおよそ,このように始まる電話で良い話というのはあったためしがない。しかしこの日は違った。最新号を評して開口一番,「このような特集が読みたかった」。その特集は…
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【電子産業史】2005年:「中村裁判」の波紋
職務発明は誰のもの,企業と社員の関係変える
2005年1月にいわゆる「中村裁判」が和解で決着,4月には職務発明の「相当の対価」に関する条文などを改めた新特許法が施行された。日本がプロパテント政策を推進している中,ノーベル賞級といわれる青色発光ダイオードの発明を主導した中村修二氏(現University of California,Berkel…
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【電子産業史】2003年:iPodとiTMS
汎ネット時代を迎えたデジタル家電の行く先
2003年,米Apple Computer社は「iPod」に向けた音楽配信サービス「iTunes Music Store(iTMS)」を開始した。前触れなく壇上に現れたSteve Jobsは,一点の陰りもない完璧なプレゼンテーションを繰り広げた。ここまで流暢な発表は,後にも先にも見たことがない。20…
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【電子産業史】2004年:SED
誰もが認める高画質,独自性を貫く
2004年,キヤノンと東芝はSEDパネルの事業化を発表した。黒い布が取り払われた瞬間,目に飛び込んできた映像の美しさに衝撃を覚えた。2004年9月,キヤノンと東芝はSEDパネルの事業化を発表する記者会見を開催した。そこで披露された36型の試作品の画質は,圧倒的な完成度の高さを誇っていた。
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【電子産業史】2002年:無線タグとユビキタス
現実と仮想をつなぐゴマ粒大の“コンピュータ”
>2002年,総務省は電波規制を緩和し,13.56MHz帯を使う無線タグを国内で利用しやすくした。まるでSF小説に登場しそうなほど突拍子もない発想。それでいて大きな産業を生み出しそうな…。先端技術の取材が生業の記者でも,こうしたワクワクした気分にさせてくれる「ネタ」との遭遇は滅多にあるものではない。…
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【電子産業史】2000年:プレイステーション 2
ムーアの法則とともに進化
2000年3月4日,ソニー・コンピュータエンタテインメントが「プレイステーション 2」を発売した。「これは大ネタだ――」。記者稼業をしていると何年かに一度,知った瞬間に心臓が高鳴るニュースに出くわす。その時がまさにそうだった。1998年11月に米国サンノゼで開かれた,「ISSCC(IEEE Inte…
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【電子産業史】2001年:携帯機器向け燃料電池
「ソニー参入」で火が付く,クルマから携帯に主役移行
2001年,国内大手電機メーカーが相次いで携帯機器向けの燃料電池の開発を発表した。「ソニーがクレジットカード大の小型燃料電池の開発に成功。業界初の家電向け燃料電池の実用化を狙い,開発のピッチを加速」――。電話から数日後,某全国紙に大きく取り上げられたこのニュースは,業界にも大きな衝撃として受け止めら…
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【電子産業史】2000年代:デジタル家電時代の幕開け,そしてネットに
1位:出井伸之氏(当時,ソニー 代表取締役会長 兼 CEO),2位:Linus Torvalds氏(Linuxの生みの親),3位:広瀬真人氏(2足歩行ロボット「ASIMO」の開発者),4位:Bill Gates氏(Microsoft社の創業者),5位:久多良木健氏(プレイステーションの生みの親),6…
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【電子産業史】1999年:iモード
携帯電話機がコンピュータへ変身
1999年2月,NTTドコモは携帯電話によるインターネット利用サービス「iモード」を始めた。「iモード」の開発を振り返ってコロンブスのアメリカ大陸発見になぞらえたのは,iモード開発の立役者の一人である榎啓一氏(現・NTTドコモ東海 代表取締役社長)だ。これは,同氏が米国のテレビ局の取材を受けた際にと…
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【電子産業史】1998年:Google社誕生
既存の事業モデルを崩すWeb 2.0の象徴的存在
1998年,米Google社が創業した。今や何らかの調べものをする際,多くの人がまずはパソコンの画面に向き合い,インターネットの検索エンジンを使うのではないだろうか。しかし,日本でもブロードバンドがまだ普及していなかった1998年当時,検索エンジンがここまで生活に密着したツールになり,しかも巨大なビ…
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【電子産業史】1995年:スチル・カメラとビデオが「デジタル」に
消費者に受けるのは何か,本質を問われた家電製品
1995年,デジタル・スチル・カメラの草分けであるカシオ計算機の「QV-10」や,DV方式のデジタル・ビデオ・カメラが登場した。1995年,二つの家庭用デジタル機器が市場で話題を集めた。一つは,デジタル・スチル・カメラ。もう一つは,デジタル・ビデオ・カメラである。デジタル・スチル・カメラではヒット商…
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【電子産業史】1996年:DVDの開発
寸前で分裂を回避,その教訓は生きたのか
1996年にDVDプレーヤーが発売された。DVDの市場デビューからちょうど10年目の2006年。今,まさにDVDは黄金期を迎えている。記録型DVD媒体の世界需要は対前年比で40%以上も増え,約60億枚/年に達する見込みだ。記録型媒体でずっとトップの座を守ってきたCD-Rの需要を,早ければ2007年に…
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【電子産業史】1997年:プリウスの登場
151万人が見た「先駆け」,クルマの電子化が加速
1997年,トヨタ自動車はハイブリッド車「プリウス」を発売した。「クルマの写真はもういいから,ヒトの写真をもっと撮ってきて!」1997年10月末の金曜日,午後10時――。いよいよ12時間後に「東京モーターショー」の一般公開が始まろうとしていた。それに先駆けて報道陣向けに設定されたプレス・デー。私はそ…
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【電子産業史】1992年:半導体に見る日本メーカーの凋落
信念と執念を持った企業のみが生き残る
1992年,DRAM市場と半導体市場で日本のメーカーがそれぞれシェア1位から転落した。日本の電子産業の勢いがなくなったのはいつからだろうか。半導体産業で見ると1992年が大きな転機だったことが分かる。日本の牙城といわれたDRAMにおける日本メーカーの凋落と韓国メーカーへの主役交代――これが明確になっ…
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【電子産業史】1993年:青色LEDの発明
初対面の中村修二に言ったこと
1993年,日亜化学工業が青色LEDを開発した。日経産業新聞が徳島支局発のニュースとして,日亜化学工業が青色LEDの開発に成功したことを報道したのは1993年末のことである。日経エレクトロニクスの記者だった私は,この記事を早朝,自宅で目にするや電話に飛び付き取材を依頼,数日後には徳島へと飛んだ。同社…
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【電子産業史】1994年:通信ネットワークのマルチメディア化
通信がATMで見た夢を叶えて魅せたインターネット
1994年,100Mビット/秒のEthernet(100BASE-T)やMPEG-2の仕様が確定,TCP/IPソフトが相次ぎ登場するなど,今のブロードバンドを支える技術が確立した。「だって通信は紳士の世界ですから」。今となっては完全なる死語だが,かつては通信事業者や通信機器メーカーへの取材で幾度とな…
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【電子産業史】1990年:オール・デジタルの地上HDTV放送の提案
放送のデジタル化の始まりメディア融合に帰結
1990年,オール・デジタルのHDTV放送方式が提案された。1990年6月,それまでのHDTV放送システムの開発を一変させる技術提案があった。米General Instrument(GI)社の「DigiCipher」である。特徴は,映像のデジタル圧縮に加えて伝送方式もデジタルにした,いわゆる「オール…