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 当時はそれなりに科学的な根拠に基づいたトレーニングをしていた私たちですが、表現形の古さに捉われて、折角の願いをかなえてくれる流れ星は目の前を通り過ぎていきました。そして、それを逃してしまったことに気付いたのはすでに手遅れに近い四年生の春でした。自分の実力や器量が小さ過ぎた故に、大橋先輩という達人の極意を表層的に、自分のしょぼいフレームでしか捉えられなかったことの愚かさに、カール・ルイスというブランドの助けを借りて気付かされました。

 しかし現実はもう後のない最終学年のシーズンインです。それからは、実行できそうなアドバイスはとにかくやってみることにしました。その中には「レースの直前には△△成分の入った歯磨きで歯を磨くとよいのじゃ」みたいな、さらに理解不能なアドバイスもありました。もはや民間信仰の域にも思えたものもありましたが、「必ず若輩者には到底解らぬ深遠な因果が含まれているに違いない」という受け入れモードの私です。後になって悔いが残らないように、できることは何でもやってみようと素直に実践したわけです。おかげさまで学生選手権で入賞するという出来過ぎな結果も付いてきましたが、そこに至るプロセス上の気付きが私の大きな財産になりました。

何とインテルまでが・・・

 日本風な習熟のプロセスに「形から入る」ということがあります。そうせねばならぬわけを、ステップ・バイ・ステップの因果関係に解き明かし、普遍化した方程式にするという西洋的なアプローチをよしとしません。それは形式知化したとたんに、そこに表現しきれない誤差のような部分が割愛されてしまうからです。アナログで深遠な事象に限って、その方程式の網から漏れる部分にむしろ一番重要なものが含まれていることを知っていたからだと思います。武道や芸事、習い事などの伝統的なもののみならず、何だって奥の深い「××道」に昇格するのが日本風。カラオケ道場、マラソン道、営業道・・・

 これらの道で大切にされる概念に「守・破・離」があります。まず伝統をひたすら真似てみる守が基本。初心者の浅はかな知識で因果律を求めるのでないという謙虚さと、何のためかは知らねども、とにかく丸呑みにしてしまう器量の大きさが求められます。