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ARMチップの誕生と苦戦

 その矢先の1983年に米アップル社が、モトローラ製16ビット・マイクロプロセサ68000をつんだコンピュータLisaを発売する。そこで、すでに400人以上のコンピュータ・サイエンティストの集団にまで成長していたエイコーン社は、将来もっと性能のよいマイクロプロセサが必要になると考え、当時まだ評価の定まっていなかったRISC(Reduced Instruction Set Computer,縮小命令セット・コンピュータ)アーキテクチャのマイクロプロセサの開発に挑戦することにした。資源にとぼしく素人集団のベンチャー企業だったから、従来のCISC(Complex Instruction Set Computer)アーキテクチャのものを設計する組織能力がない。そこで、少ないトランジスタ数で設計可能なRISCアーキテクチャを選ばざるを得なかったのだ。

 こうして1985年に、エイコーン社最初のRISCチップであるARM1 (Acorn RISC Machine 1)が誕生。翌年にその改良版であるARM2が誕生する。これは、3万個のトランジスタで32ビット・データバスを実現し8MHzのクロック周波数で動くきわめて先進的なマイクロプロセサであった。その製造は米国VLSI(VLSI Technologies)社が担当。彼らは最先端の3μmデザイン・ルールを採用した。

 このARM2は、エイコーン社のコンピュータBBC Archimedes 305に搭載される。しかしすでにIBM PCが主流市場を形成している中でまったく異なるOSを採用したこのArchimedesは、BBC Microの後継機種としてラジオ局や学校で採用されたものの、英国をのぞく一般市場ではなかなか売れなかった。

 その苦戦にもかかわらず、エイコーン社はキャッシュ・メモリーを追加しクロック周波数を25 MHzに高めたARM3を開発。1990年にこれを自社製のデスクトップ・コンピュータAcorn Archimedes 540/1に搭載する。しかしこれもまたほとんど成功しなかった。当時、アップルのマッキントッシュやIBM PC機が高性能化して、最後の砦であった教育業界もまたArchimedesから離れていったからだ。こうして、エイコーン社の開発したARMチップは風前の灯となった。

―― 次回へ続く ――

著者紹介

山口栄一(やまぐち・えいいち) 同志社大学大学院ビジネス研究科 教授,同大学ITEC副センター長,ケンブリッジ大学クレアホール・客員フェロー
1955年福岡市生まれ。東京大学理学部物理学科卒業(1977年)、同大学院修士修了(1979年)。理学博士(1984年)。1979年、日本電信電話公社入社。米University of Notre Dame客員研究員(1984年-1985年)、NTT基礎研究所主任研究員・主幹研究員(1986年-1998年)、仏IMRA Europe招聘研究員(1993年-1998年)、21世紀政策研究所主席研究員・研究主幹(1999年-2003年)を歴任し、2003年より現職。科学技術振興機構 研究開発戦略センター特認フェロー(2006年~)、文部科学省トップ拠点形成委員会委員(2006年~)。 アークゾーン(1998年)、パウデック(2001年)、ALGAN(2005年)の3社のベンチャー企業を創業し、各社の取締役。近著に、『JR福知山線事故の本質―企業の社会的責任を科学から捉える』(NTT出版、2007年)『Recovering from Success: Innovation And Technology Management in Japan』(共著, Oxford University Press, 2006年)『イノベーション 破壊と共鳴』(NTT出版、2006年)など。研究室のWebサイトのURLは,http://www.doshisha-u.jp/~ey/

本稿は、技術経営メールにも掲載しています。技術経営メールは、イノベーションのための技術経営戦略誌『日経ビズテック』プロジェクトの一環で配信されています。