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 鍛冶職人の世界では、「手取り足取り」という教え方はあまりされない。何か言っても一言二言。それも多くはダメ出し。無理へんにゲンコツと書いて職人と呼ぶ、という笑い話そのままの指導法が珍しくない。そんな彼らが口を揃えるのは、「自分で見て考えて失敗をして、ということを繰り返さないと本当の意味で技術は身に付かない」ということだろう。手取り足取り教えられた技術は、結局は身に付かない。だから、いざ一人になったとき、はたと困ってしまう。

 彼らの意見にも一理ある。けれどもこの方式では、一人前になるまでの時間に大きな個人差がでてしまう。習得が遅くなってしまう人がそうなる理由はさまざまだろうが、時として、そういった人が晩成して名工になったりもする。彼らはおおむね不器用で、ひとつの物事を身につけるのに時間がかかる。その代わり一旦納得し技術を習得すると、一足飛びにうまくなる。長い修業の間にブレイクスルーできるだけの地力をためているのだ。

 鑿(のみ)の名工と言われた鍛冶の一人である三代目左市弘(ひだりいちひろ)こと故山崎正三も、修業時代が長かった。自ら認める通り不器用さもあったのだろうが、すでに名工の名を得ていた父親である親方がとにかく厳しかった。ひとつの技術が完全にマスターできたと思うまで次のステップへ進ませなかった。しかも、その「マスター」の基準がとてつもなく高い。

「小僧時代、会場持ち回りで鍛冶屋仲間が集まる会があったんだ。うちでやる回もあるんだけど、そういう時は小僧の僕がお茶くみをして台所の板の間で正座している。そのままじっと座っていると座敷ではお酒も入りいろんな話が出てくる。うちの倅は火造りできるようになったとか、焼入れまでしたとか。ところがぼくの親父は言うことがない。だからじっと黙っている。ぼくも板の間で正座して黙って聞いているんだ。あそこの倅はそこまで出来ているのか。それにひきかえ俺はまだ掃除とかの雑役しかやっていない。話に出るのは、同じ頃に入った仲間ばっかり。暗くなったよ」

 それでも父親は教えてくれない。ようやく許可が出て、張り切って仕上げのヤスリがけを施した試作品を見せると黙って突き返される。何度出しても同じことの繰り返し。山崎は、ついに「頭に血が上って」家出をする。ところが行くあてもなくふらついていた歌舞伎町で、ひと晩かくまってもらった焼き鳥屋の主人に説得されて、仕事場に舞い戻ってしまう。父親は自らの技術をすべて正確に伝えたいが故に息子に厳しくも接してきたのだが、その思いを知る由もない山崎は山崎で、どうしても鍛冶の修業をやめられなかったのだ。