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 シリングハウスは、マイクロエレクトロニクス研究所の教授である。スイスのチューリッヒ工科大学(ETH, Eidgenössische Technische Hochschule)で博士号を得、米国プリンストン大学で2年間ポスドクをしたあと、フレンドらによってケンブリッジ大学の教授に抜擢された。彼もまたその専門は、有機半導体デバイス。とくに有機物内での電気伝導をずっと研究してきた。現在もA社のチーフ・サイエンティストとして技術経営のトップの座を占める。

果たして製品化されるのか

 こうしてA社は、キャベンディッシュ研究所の威信のもとに創業したベンチャー企業ということができる。キャベンディッシュ研究所の大きな方向性から推察できるように、A社の目的は、有機物とくにプラスチックを半導体として利用しその集積回路を開発して、まずは電子ペーパーを製造することにある。

 プラスチックで集積回路を作れば、しなやかに曲げることができる。たとえば携帯電話が名刺サイズの柔らかいプラスチック・シートになれば、くるくると丸めて胸ポケットに入れることだってできる。ノートブック・コンピュータもまた、A4サイズのプラスチック・シートになれば、本やノート以上に手軽なものとなって、ついに紙媒体を置き換えるだろう。何よりも大事なことは、従来のシリコン半導体と異なり、インクジェット・プリンターの印刷技術で集積回路ができるので、製造コストが圧倒的に安価になる。

 従来の半導体産業(シリコンやヒ化ガリウムなど)においても次世代半導体産業(窒化ガリウムなど)においても後れを取ってしまった英国は、フレンド、シリングハウスの両教授が太鼓判を押すこのプラスチック半導体によって世界の半導体産業地図を塗り替えられるかもしれない。何といっても、キャベンディッシュ・プロフェッサーが創業した会社だから、まちがいはない。

ケンブリッジ・サイエンスパークにあるA社の新社屋
写真10 ケンブリッジ・サイエンスパークにあるA社の新社屋。

 そのような期待がひとつの空気を支配したのだろう。第2ラウンドの2002年4月には1800万ドル、第3ラウンドの2005年11月には2400万ドル、第4ラウンドの2007年1月には1億ドルの資本が集められた。そして第4ラウンドの1億ドルをもちいて、A社はドイツ・ドレスデンに電子ペーパーの駆動回路を量産する工場を建てた。創業9年。キャベンディッシュ研究所で博士号を取った精鋭の若者ら150人以上が参集し、技術・資本・人の3拍子ともに磐石な会社ができあがった(写真10)。

 当社は、2007年には間に合わなかったものの、2009年中には、写真8のような電子ペーパーの量産製造を始めるとしている。しかしこの約束どおりに彼らは、曲げられるディスプレイを製造して、ロンドン科学博物館の写真を本物の製品で置き換えられるのだろうか注1)

注1)「ケンブリッジの変容から学ぶブレークスルーのイノベーション理論」と題して、本連載の内容を4月17日に講演します。詳しくはこちらの「夢を語り実現する研究者になるための若手研究者セミナー」をご覧ください。

―― 次回へ続く ――

山口栄一(やまぐち・えいいち)
同志社大学大学院ビジネス研究科 教授,同大学ITEC副センター長,ケンブリッジ大学クレアホール・客員フェロー
山口栄一(やまぐち・えいいち) 1955年福岡市生まれ。東京大学理学部物理学科卒業(1977年)、同大学院修士修了(1979年)。理学博士(1984年)。1979年、日本電信電話公社入社。米University of Notre Dame客員研究員(1984年-1985年)、NTT基礎研究所主任研究員・主幹研究員(1986年-1998年)、仏IMRA Europe招聘研究員(1993年-1998年)、21世紀政策研究所主席研究員・研究主幹(1999年-2003年)を歴任し、2003年より現職。科学技術振興機構 研究開発戦略センター特認フェロー(2006年~)、文部科学省トップ拠点形成委員会委員(2006年~)。 アークゾーン(1998年)、パウデック(2001年)、ALGAN(2005年)の3社のベンチャー企業を創業し、各社の取締役。近著に、『JR福知山線事故の本質―企業の社会的責任を科学から捉える』(NTT出版、2007年)『Recovering from Success: Innovation And Technology Management in Japan』(共著, Oxford University Press, 2006年)『イノベーション 破壊と共鳴』(NTT出版、2006年)など。研究室のWebサイトのURLは,http://www.doshisha-u.jp/~ey/
本稿は、技術経営メールにも掲載しています。技術経営メールは、イノベーションのための技術経営戦略誌『日経ビズテック』プロジェクトの一環で配信されています。