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 そのあたり、テリー伊藤さんが以前に面白い話を語られていましたので紹介しましょう。還暦間近という年齢にも関わらず常に斬新なアイディアを発信し続けるテリーさんならではの自己研鑽の考え方なのですが、敢えて嫌いな音楽を聴くようにしているのだそうです。曰く「ジジイになったら嫌いな音楽を聴く努力をしないと本当にジジ臭くなっちゃうんだよ!」と。歳を取るとどうしても新しい分野の音楽を聴いてみようなどという元気がしおれがちになります。青春時代の懐メロを繰り返し聞いて反芻するというジジ臭い感じになってしまうのです。近頃のレコメンド文化は、そんなお年寄りのような「お気に入り」の世界に満足してしまう危険性を持っている。その部分に対して、時代を先取りするタレントとしてテリーさんは危険な香りを感じ取っている、ということなのでしょう。

 自分の可能性を狭めたくないという高い志を持ち続けて、敢えて嫌いな分野に挑戦する、という話はごもっともなのですが、なかなか凡人に真似のできる話ではありません。楽な方向に流れ流され、気付けばメタボな体型の私というのが実態でしょう。そこで先人にヒントを探ってみることにしましょう。

古臭い行動様式の意外な効用

 例えば、何かをキッカケにまるで想定していなかったものに「はまる」という場面を考えて見ます。まるで興味のなかった社交ダンスにはまる、ボランティア活動に入れ込む、好みではなかったはずの人と付き合っているうちに惚れる…。これらは、ある意味自分の中の改革とも言えるでしょう。従来はどのような段取りでこのような新たな世界に引き込まれて行っていたのでしょうか?

 その少なからぬ割合を占めるパスに「義理や付き合い」があったと思います。古臭い伝統的ルールや、義理人情という力学が支配的な世界とは、なかなか自分の思い通りには事の進まない面倒くさい世界です。理屈よりは理屈抜きのならわし、自分の都合よりは集団全体の都合、合理性ではなく感情が優先する世界。近所の寄り合いのしきたりで仕方なく始めた神輿かつぎにハマり、さらには町内会運営に生き甲斐を見い出すようになる、上司の奥さんの趣味の社交ダンスにつき合わされるうちにその世界に目覚めてしまう、「騙されたと思って一度だけでいいから会ってみな、あんたに合う娘さんだから」と、親戚のおばちゃんの強引な引き合わせがきっかけで結婚してしまった夫婦・・・。