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 こんな事例はみな理不尽なきっかけが基点です。それは、普通に暮らしていたらあり得なかった方向に、無理やり人生行路の舵を切る古いタイプの新境地開拓装置とでもいうべきものです。上司とか近所、親戚など浪花節風に濡れた登場人物が理不尽に介入してきた結果でもあります。非合理的な古臭い因習に見えますが、前向きに考えれば、そうした通過儀礼的な装置がこの社会に用意されているということは、自分の中での大きな変革を促す先人の知恵なのかもしれません。

文化とは利便、快適でないものの集合体

 自分にお気に入りの快適空間にひきこもる人、というとまず頭に浮かぶ種族とは一般的にはオタク系ということになるでしょうか。オタキングの呼称を自他共に認める岡田斗司夫氏が著書「オタクはすでに死んでいる(講談社新書)」の中で述べておられる一節を抜粋で引用しましょう。

 「文化とは『利便』『快適』だけでできているのではありません。正月は初詣に行かないとなんとなく後ろめたい、終戦記念日には特番を見てそーいう季節かと思う。年賀状を出すかどうか毎年悩む。など、文化とは義務感、季節感、行動様式、『利便』『快適』でないものの集合体を指す。」と定義した上で岡田氏は「かつてあったオタクとして必要な教養をどんどん排除して、俺がいま好きなものがいいという短絡的な価値観のみになってしまった」がゆえに、オタクは滅びてしまったと論じておられます。

 そうなんです。「好きなもの、レコメンドされたものに囲まれて引きこもる」人種をオタクと呼ぶのではなく、それは一つの現象であり、それがオタク界をも侵食しようとしているのです。

昭和キャラ機能の実現を

 テリー伊藤さんの場合には、心が老いてはならぬという危機感から、行者のように自らに鞭をふるってチャレンジスピリットを保ち続けています。いかにも団塊世代風なこの熱いエネルギーは、今時の若者にはなかなか分かりにくいものかもしれません。逆に、伝統文化という古いしがらみやしきたりを保守的に守りぬいていくことが、結果的に新たな境地を見つけ出す装置としても機能してきたという話も致しました。これら二つのパスは一見対極にあるもののように見えますが、実はこれまでずっと回してきた二つの装置です。古いやり方という意味では共通しています。