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 木でできた釣り鐘のようである。あるいは、大きく作りすぎた樽。横腹の板と板の間から白く蒸気が漏れる。名前は甑(こしき)。巨大な蒸し器である。中には同じ長さに切りそろえた楮(こうぞ)の束。水を注いだ「鍋」に、ぎっしり詰めて立ててある。煮立った水が蒸気になって、下から楮を蒸し上げる。

 竃(かま)の横で火の御守りをするのは、尾崎製紙所の代表、孝次郎。こちらに気づくと人懐こい笑顔を向けてきた。朝4時に始めたから、もう3回目である。水が温まるのに時間がかかる初回は3時間。その後はおよそ2時間ごとに蒸し上がる。時刻からすると、そろそろこの回も終盤だ。

 どうなったら終わりなんですか。そう聞けば、訥々と答えが返ってきた。「それはね、蒸気が教えてくれる」。水が沸騰するのは、蒸し始めて1時間ほど後。蒸気がもくもくと出て、しゅーしゅーと音がする。蒸し上がりが近づくと、次第に蒸気の勢いが収まり、音も穏やかになってくる。甑の上に立つ蒸気の根元が透き通って、音がしなくなると出来上がり。

鍋の底が満遍なく温まるよう、孝次郎が火の番をする。
鍋の底が満遍なく温まるよう、孝次郎が火の番をする。

 楮を蒸すのは、樹皮を剥がしやすくするためである。孝次郎の説明によれば、楮の樹皮と芯の間に蒸気が行き渡ると、蒸気の色や音が変わるのだという。尾崎家の跡取り、孝次郎の次女のあかりは、まだそれを見分けられない。言葉では伝えられない領分の知識なのである。何年も経験を積み、自らの感覚を研ぎ澄ますしかない。

 昔から伝わる紙づくりでは、自分の五感に頼る工程が随所に顔をのぞかせる。経験則に従った判断や、熟練を要する作業も多い。作り手は、同じことを何度も繰り返して身につけ、ある時は無意識のうちに、ある時は精魂を傾けて実行している。

 一連の技術や工程は、その土地の気候や風土、材料といった制約条件のもと、気の遠くなる時間をかけて試行錯誤した結果だろう。それを生み出した共同体では、十分な経済合理性があったはずである。ただし社会の仕組みが大きく変わった現在、昔ながらの方法を維持し難いことは、多くの作り手の末路からも明らかである。手作りという方法論は、安価な労働力を大量に供給する日本の農村という条件に、何よりも依存していた。