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筆者 さきほどの話では,日本の強さは,欧米から導入した資本集約型技術と日本が昔から持っていた労働集約型技術が補完してきたところにあるということでしたが,系列の中小企業は労働集約型技術の方を主に担ってきたということなのでしょうね。大企業は本来苦手な資本集約型技術をキャッチアップすることに一生懸命だったわけで,ある程度役割分担できたために,うまくいったという面があるのかも知れません。

藤浪氏 さきほど紹介した『ものつくり敗戦』の中で木村氏も,日本の大企業は欧米の資本集約型技術によって生み出された近代的な機械を導入しながらも,それを使いこなす人間の技能に依存するという伝統的な思考方法を維持するという二重構造を生んだと分析しています。その二重構造の一つの具体的な形が大企業と中小企業の系列関係ということです。
 この二重構造はさきほどのリニアモデルのエンジニアリングの部分で,プロセスイノベーションを起こすほどの力を発揮します。半導体はプロセス技術の優位性によって,自動車分野ではTPS(トヨタ生産方式)を生み出して世界を席巻します。さらに,日本の製造業は1980年代に入ると,プロセスイノベーションに加えてプロダクトイノベーションでも優位性を築くようになります。家庭用VTRに始まり,ウォークマン,コンパクトディスク,カムコーダなど日本メーカーが世界に先駆けて開発した製品が相次いで登場します。こうして日米の国際競争力は逆転し,米国の家電メーカーの多くは姿を消していきます。

「強さ」が「弱さ」に転化?

筆者 こうして見て来ますと,80年代半ばまでの日本の製造業は,伝統的に持っていた力をうまく生かして,欧米のリニアモデルにうまくキャッチアップできたわけですね。しかし,80年代半ばから世界は激動の時代を迎えます。ざっとキーワードだけ挙げると,プラザ合意,それに伴う円高,東西冷戦の終結,グローバル化,シリコンバレーモデルの誕生,パソコンを契機とするモジュール化・水平分業化の進展・・・などなど。こうして藤浪さんの言われる第1,第2の変曲点を迎えるわけです。それらについて詳しく聞いていきたいと思いますが,その前にまず確認したいのは,日本メーカーはそれまで強かったためにこうした環境変化への対応が遅れた,または強さが弱さに転化してしまったということでしょうか。

藤浪氏 強かったがゆえに弱くなったと言うのは半分くらいは言えることかなと思います。特に第1の変曲点ではそうです。というのは,1985年のプラザ合意を直接のきっかけとする第1の変曲点とITバブル崩壊をきっかけとする第2の変曲点との違いは,第1の変曲点の時点では,日本メーカーは高い競争力を持ったまま突入したということです。依然としてリニアモデルを強化しようとして,米国あたりから批判の高かった「シーズただ乗り」の批判もあって,自社内で基礎研究を充実させようとしてきた。ところが,それ以前に例えば米国のエレクトロニクス産業は競争力を落としていたことから逆に自社内で基礎研究を続けることができなくなり,環境変化に合わせてリニアモデルとは別の新たなモデルを模索せざるを得なかった,という違いは確かにあると思います。

「システム革命」への対応の遅れ

筆者 『ものつくり敗戦』では木村氏は,製造業が大規模化・複雑化して大量生産化が進むに連れ,分業化が進んで「ものばなれ」が進行し,その結果として,自然科学をベースにした技術から,人工物を対象とする科学が発展したとして,これを「第三の科学革命」と名付けています。そして,第三の科学革命が進行した状況では,いわゆる労働集約型の技術は通用しなくなるとしています。または,過去の強さに引きずられてそこに頼ってしまったからこそ,日本は負けたと論じています。おそらく,分野にもよるのでしょうが…。

藤波氏 それは「システム革命」と呼んでもいいですね。その中核はソフトウエアです。そこでは,日本が得意な暗黙知のようなものが存在する余地はなくなってしまって,標準化と汎用化が求められます。もちろん,システム革命の進み具合は分野によって違いますが,システム革命が進んだ分野では,これまでの日本の強みがなかなか通用しづらくなってきているのは確かだと思います。

(次回に続く。次回のテーマは「日本メーカーはなぜ弱くなったのか」の予定です)