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 いずれにしても、こうして「自主性が制限」された状況下で、ミラーニューロンは「共感」を生むが、一方で「模倣暴力」や薬物中毒の温床にもなる。どうしたらよいのだろうか。

 イアコボーニはいくつかヒントを書いているが、筆者が重要だと思ったのは、ミラーニューロンのメカニズムは、意識以前のレベルで起きているということを「見える化」するということである。「人はミラーリングの神経機構がどう働いているかを直感的に理解しているように見える。この研究のことを話すと、相手はみな---すくなくとも私の経験では---分かってくれる。(中略)この人間の共感的な性質をもっと顕在的なレベルで理解することがいずれ社会を形成する計画的で意識的な対話の要因になってくれることを祈るばかりだ」(p.330)。

 しかし、この「共感」は、身体的な運動に基づく相互作用をベースにしているために局地的になりがちである。その結果、世界のあちこちで出来上がった文化同士が衝突するという問題も引き起こす。それについてイアコボーニは、理念ではなく、ミラーニューロンをベースにした文化同士の相互作用に期待しているようだ。「この地域伝統の同化を可能にしているミラーリングの強力な神経生物学的メカニズムは、別の文化の存在を明かすこともできる。ただし、そうした出会いが本当にあるならばの話だ。私たちをつなぎあわせる根本的な神経生物学的機構を絶えず否定する巨大な信念体系---宗教的なものであれ政治的なものであれ---の影響がある限り、真の異文化間の出会いは決して望めない」(p.131)。

 これらを読んで筆者が思ったのは、意識以前のレベルであることを顕在化してミラーニューロンの働きを良い方向に持っていくこと、さらに局地的に自然発生した「共感」を世界平和のために統合するためには、矛盾するようだが、ある価値観に基づく大きな理念が必要とされるのではないか、ということである。正直よく分からないのだが…。

 最後に、本連載コラムのテーマである「イノベーション」にとって、ミラーニューロン研究から示唆されることを少し考えてみよう。以前のコラムで、イノベーションにとっての「暗黙知」の重要性を考えてみたが、意識以前のレベルで起こるミラーニューロンの働きとは、同じ「無意識」という共通点を持つ。新しいことを考え出すためにはまず模倣が大切だということは直感的にはよく言われるが、ミラーニューロンの研究が進むと、そこらあたりの神経現象が解明されていくかもしれない。以前のコラムでは、暗黙知やビジネスインサイトを鍛える手法として「ケース教育」を紹介したが、暗黙知を生むミラーニューロンとそれに続く脳の働きが解明されれば、もっと効率的な手法が編み出される可能性もある。

 それにしても、ミラーニューロンの考え方は、日本的な手法と親和性があるようだ。身体的なつながりをベースにした「共感」によってコミュニティをボトムアップでつくっていく、というシナリオは、日本の製造業が現場で培ってきたチームワーク重視の組織能力を彷彿とさせる。しかし、前述したように「局地的な文化の衝突」が起きているように、この手法は、「ガラパゴス」になりがちである。そこをどう突破してグローバル化するか、がどちらにとっても問われている。