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 最近、非常に悲しい事件の取材を依頼された。不思議なことに日本ではほとんど報道されなかったけど、この10月、九州のある田舎町がにわかに世界の脚光を浴びることになった。そこは、福岡市から行けば2時間ほどかかる柳川という町。「川下り」の観光所として知られている場所だけど、ここで悲劇的な事件が繰り広げられたのである。

 まずはうちのニューヨーク本社から緊急連絡が入った。「誘拐の容疑でアメリカ人が日本警察に逮捕された。容疑者と元日本人妻にインタビューしてくれ」という。

 もちろん、この「犯人」、クリストファー・サボイ氏の存在は初耳だった。あわててGoogleなどを使いながら調査していると、彼の履歴が少しずつみえてきた。日本に滞在するアメリカ人にもいろいろいるが、彼はいわゆる「エリート」の方のようだ。アメリカの東北部出身だが、10年ほど前に九州大学に留学し、医学系の専門で博士号を取得した。英語や日本語をはじめ、いくつもの言語をあやつれる人物でもある。学校を出てからは自分の会社を設立し、大成功した。そのうち、美人の柳川娘と結婚し、2人の子供にも恵まれた。ま、分かりやすくいうと、日本版の「アメリカンドリーム」を実現したということね。

 けれど、いつのまにか、彼は天国から地獄へと突き落とされることになる。結婚生活が破綻し、彼は今年はじめ帰国したのである。そこで「もう1回やり直そう」と彼は思い直し、日本から妻ののり子さんと子供を呼び寄せることにした。しばらくの間、4人家族としてテネシー州で暮らしてはみたのだが、やはりうまくいかず、結局、のり子さんと別れることになった。ところがそのたった1カ月後、クリスは昔の同級生であるエイミーさんと結婚したのだ。エイミーさんも再婚だった。こうして、クリスとエイミー、そして彼女の「連れ子」との新しい生活が始まった。

 クリスとのり子は離婚に際し、のり子さんがずっとテネシー州に住み、定期的にクリスに子供を会わせることで合意していた。これを前提に、離婚裁判ではクリスはのり子さんに多額の支援金を支払うことが決められたのである。

 ここまでは、ごく普通の物語だよね。あいにく離婚率の高いアメリカでは、結婚の半分ほどは破綻し、2回以上の再婚によって異母兄弟や異父兄弟が家族に存在している状態を「blended family(混ざっている家族)」と呼ぶ。そう、ちゃんと呼び名ができるほどポピュラーなのである。子供に対する影響のよしあしは別として、よくあること。ただ習慣上、日米で決定的に違うのは、夫婦が分かれても親子関係は守られていることだろう。離婚後も、両方の親が親権を持ち続けることが定められている。

 クリスは、自分の離婚も同じようになると思った。テネシー州の家庭裁判でそのように決められたこともあるし。けれど、そのような結末にはならなかった。のり子さんが数カ月後の夏に、こっそり子供のパスポートを手に入れ、子供を実家に連れて帰ってしまったのだ。

 のり子さんの行動はアメリカの法律上では、明瞭に誘拐だ。今後、もしアメリカに足を踏み入れることがあれば即逮捕となる。けれど、日本の法律ではそうはならない。海外でのこのような犯罪を認めず、のり子さんが帰国すれば自由に好きな生活ができるのである。

 クリスはこの理不尽な制度については十分知っていたが、もう子供に会えないことに耐えられず、絶望的な計画を立てた。今年秋、日本に出張で来た際にレンタカーで知人といっしょに柳川へ行き、通学中の子供を車に押し込め、猛スピードで福岡のアメリカ領事館に入ろうとしたのである。ところが、計画通りにはならなかった。それを事前に察知したのり子さんが予め警察に連絡していたため、クリスはすぐに日本の警察に逮捕されてしまったのだ。柳川警察署には数週間拘束された。そこで、われわれは15分間、クリスにインタビューすることができた。「僕は元妻と全く同じようなことをやろうとしただけ。それなのに、どうして自分だけが犯人になるのか」と彼は叫んでいた。

 この事件は、いろいろな面で日本の警察にとってはややこしいものだった。クリスさんがただのアメリカ人であれば、多分速やかに強制送還、ということで決着がついただろう。けれど彼は、日本の国籍も持っていた。つまり、他の日本人と同じように扱わななければならなかったのである。そもそも、目的からみれば彼は普通の犯罪者ではなかった。他人を誘拐したのではなく、かわいいわが子を車に乗せただけである。結局、警察はクリスを釈放、彼は帰国した。