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 開発部長が、浮かないような、嬉しいような、変な顔をしています。「どうしたんだィ、部長。変な顔して。一体、何を悩んでるんだィ?」。長い付き合いですから、部長の異変、すぐに分かるのですナ。でも今度ばかりは、困っているのか笑っているのか、変な顔の原因が分かりません。

 「次郎さんよ、本当は嬉しいんだよ。イヤイヤ、悲しいんだが…」。わけの分からない言い方です。「いやね、例のA君、引き抜かれそうなんだ。どこかって? ほら、外資系のあの会社。優秀な人材を一本釣りで引き抜く、そう、あの会社なんだ」。A君、我が社でも知らぬ者はいないほど優秀で、人望も厚く、我が社をいずれ背負って立つといっていいほど将来を嘱望されている人材です。「ええっ? 部長、まさか放っておくわけじゃあないだろうナ?」。

 アタシも知っているかつての部下、そりゃあ優秀でした。向上心も強く、技術の幅も広いし、とにかく前向き。イヤなことでもサラリとこなす仕事ぶり、いつも明るく、社内にも多くのファンがいるほどです。そのA君が引き抜かれたら、損失なんてェもんじゃありません。なのに部長、一面、嬉しそうでもあるような…。一体、どうしたんでしょう。

 「ホントのことを言うよ、次郎さん。オレ、嬉しいんだ。彼が評価されたのが本当に嬉しいんだヨ。だって、そうじゃあないか。あれほどの人材、このままこの会社にいて、それでいいのか、って思ったこと、次郎さん、アンタだってあったろうに」。グサッときました。そうなんです、アタシも実は、そう思ったことがありました。彼ほどの器量なら、我が社よりよっぽど大きな器の会社で存分に活躍して欲しい。そう思ったこと、確かにあるんですナ。

 そもそもこの話、当のA君が部長に相談したそうで、「なあ次郎さん、いいヤツだよなァ、正直に話してくれたんだ。普通なら黙っているだろうに、あっちの条件なんぞも、全部話してくれたんだ」。「で、A君はどうしたいって?」。一番、聞きたいのはそこですヨ。行ってしまえば会社の損失、いや危機かもしれません。それに、アタシ個人としても行ってほしいような、押し止めたいような、何ともやるせないキモチです。

 「アタシに決めてくれって言うんだ、A君。オレが決められるわけァないだろう? しかも、『自分、正直分からないんです。行きたい気持がないと言ったらウソになるけど、この会社も好きなんです。ですから部長、決めてください』。そう言われちまったら、どう答えリャいいんだよ、次郎さん。アンタが決めてくれないか」。ヤレヤレ困ったことになりました。この話、いかにA君が好青年か、あらためて分かるような話です。誰もが、彼を応援したいのですが、転職されるのも困るし…。股裂き状態てェのは、こういうことをいうのでしょうナ。

 ますます、経営環境が悪化する中、企業にとって一番重要な資源は人材。その、我が社にとって一番ともいえる人材が、いま引き抜かれようとしているのです。できるからこその悩みかもしれませんが、当の本人が、一番辛いに違いありません。

 おっと、いつからいたのか、お局が、アタシの背中からシミジミと言うのです。「優秀な人は目立つのよ。出る杭は打たれるっていうけど、彼のように、好まれる杭っていうのも珍しいわネ」。まさにそうです。A君を打とうなんてェ者はいませんヤネ。だからこそ、「ここは一体、どうしたらいいんだい」。

 「ねェ、出戻り御免にしたらイイじゃない!」。「とにかく今回は転職してあっちに行くのよ。そして、イヤになったら、いえ、居心地がよくてあっちにずっといたとしても、いつ戻ってもOK。そういう条件にしてあげればいいのヨ!」。こんな話、聞いたことァありません。「何なら、行ったり来たりでもイイじゃない」。「おいおい、そんな乱暴な話できるわけァないだろう。できない話をしてもしようがないだろうに」。部長を無視して、「だって、優秀な人材なんだから、共有すればイイのよ。それに、業界が違うあっちの水、苦いか甘いか、それを知るのも勉強よォ」。考えてみれば、これからの企業にとって、優秀な人材の争奪戦はある意味で消耗戦。制度上の問題があるにしろ、これが実現すれば企業にとっては一石二鳥。それに、A君自身にとっても、一回りも二回りも大きくなることは間違いありません。結果、回りまわって我が社のためにもなるてェことで、案外、お局のアイデア、ウルトラC(ちょっと古いか、今じゃE難度やF難度もあるそうな)かもしれません。出戻り御免の転職制度、つくってみますかねェ。

 さてさて、ところ変わっていつもの赤提灯。飲むほどに酔うほどに、お局の口も滑らかに…。「経験なんて、あればあるほど人間は大きくなるものよ。結婚だって同じ。それを、バツイチだとか出戻りなんていうのは失礼よ! むしろ、褒めてあげなくちゃダメよ。これからの時代は、出戻り御免被り候なんだから!」。

 うーん、お局の最後の一言、ひょっとして、お局自身の御免被り経験…かァ?