朝から、お局の様子が変ですヨ。「どうしたのサ、体調でも悪いのかい?」。「……」。何も言わずに遠くを見ているような、そんな感じ、何かあったんでしょうナ。お昼の食堂、横に座ってもう一度、「どうしたんだい、余程、嫌なことでも…」、さえぎるように、「次郎さん、誰にも言わないでね、約束できる?」って言うんですから、かなりなもんですヨ、この話…。
「実は夕べ、お友だちと食事をしたの。そうしたら、うちの会社の人がちょうど後ろのボックス席にいて、その人も、多分お友だちと一緒、そんな感じでいたのよネ。で、聞くともなしに聞こえちゃったんだけど…」。ここでまたダンマリ。「誰? そのシト」と聞いてもダメなんですナ。しばらくして、「…次郎さん、会社の悪口って、言ったことある?」。そう聞くので、「ははは、しょっちゅうさ。給料は安いし、上はバカだし、俺の評価は低いし…」。「次郎さん、真面目にちゃんと答えてよ! あたし、真剣なんだから!」。深刻ですヨ、お局。
「次郎さんみたいに冗談で言うのはいいのよ、でもね、夕べの話はヒドイ、本当にヒドイ話なの。その人は本気で、この会社の悪口を言っているのよ」。どうやら、お局にとっては相当ショックだったようですナ。どうでもいいような飲み屋でのバカ話、そうはいかないほど、深刻に受け取ってしまったようですヨ。
「いいじゃないか、どうせ、飲み屋での憂さ晴らしだろうよ、気にするなよ」。「次郎さん、気にしなくて済む話じゃないのよ。彼は、自分ができないことも、仕事に集中できないことも、すべて会社のせい、そう言ったのよ。信じられない。じゃあなぜ、自分にとってそんなに居心地の悪い会社に居るのかしら。そんなにイヤなら辞めてしまえばいいじゃない。次郎さん、そう思わない?」。「う~ん、おれはそんなふうに会社のことを考えたことァないが、もし、おれが本気でそう思うようになったら、辞めてしまうだろうナァ」。「でしょう? だから、分からないのよ。なぜ、あんなにひどく会社の悪口を言うのか、なにが目的なのか、それが分からないのよォ。同じ会社の同僚なのに、まして、そろそろ責任のある地位に付く、その人が…」。
段々、重苦しい空気になってきましたヨ。お昼時間もあとわずか、残りはいつもの赤提灯てェことにいたしましょう…。
部長も心配そうに、「忘れろよ、大体、おれたちには関係ないだろうが」、と言いかけるのをさえぎってお局が吠えました。「何よォ、部長、放っておけ? そう言うの? 本気でそう言うの? この会社の人が、同じ会社の同僚が、よそで会社の悪口を言っているのを聞いて何とも思わないの? アンタたち、平気なの? しかも、アタシにも平気でいろって、そう言うのネ?」。怒りは臨界点に。「もう帰る、アタシたち、友だちじゃなかったの? 同じ会社に、たまたま一緒になっただけかもしれないけど、もっといい会社にしようと、そう思っている友だちじゃなかったの? そうじゃないなら、帰る!」。まるで殿中松の廊下、お局を引き留めようと部長が必死で、「いやいや、そんなことは言ってないよ。おれたちは友達だよ、ナァ次郎さん」。「おうよ、おれたちは友だちサ。だけど、それほど怒るのはほかにも何か感じることがあったんじゃないか?」。
お猪口をグビッと飲みほして、臨界点から一息ついたお局。「責任を転嫁しようとしているのよ。彼は、何でもかんでも、自分は悪くなくて、すべての責任は会社にあると言ったのよ。やりたいことができないのは会社のせい。だからやる気がなくなった。それも会社のせい。何とかしようと思っても、自分はやる気が出ない。それも会社のせい。全部、会社が悪いって、責任転嫁して自分を正当化しているのよォ!」。
「アタシ、一番嫌いなの。責任を転嫁するのが、一番イヤなのよ。うまくいかないこともあるし、調子の悪いときもある。でも、それが会社や他人のせいならば、何をやっても自分のせいにはならないじゃない。自分の所為(せい)にして、その結果について対処するのが成長じゃない、勉強じゃない、そうでしょう? だから、責任転嫁して、全部他人のせいにする人、絶対に良いことは起きないわ。第一、自分の会社の悪口を言うなんて、そんな悪い会社にいる自分の生き様も悪い、そう公言しているのと同じじゃない。そんな人がこの会社にいるなんて、その会社に自分もいるなんて、それがショックなのよォ…」。
「ようく分かったヨ、関係ないなんて言ったおれたちが悪かった。さあ、機嫌を直して飲もうぜェ。で、そいつは誰なんだ?」。やはり、気になりますワナ。「次郎さん、それは言えない。絶対に言わないわよ。ううん、武士の情けなんかじゃなくて、忘れたいのよ、もう」。そうかもしれません、早く忘れた方が、健康的ですヨ。
まあ、お局の極端な人生観あるいは価値観と言いましょうか、少々、度が過ぎるかもしれませんが、アタシも同感ですヨ。そんなに嫌なら、転職して、自分を存分に生かせる会社にいけばいいじゃありませんかねェ。
「…ところで、会社の悪口を外で言うなんてみっともないが、そんなにイヤなら、なんで会社にいるんだろうナァ」。「決まってるじゃない、部長、給料よ、給料ォ! それだけはもらいたいから、会社は悪いのに、給料だけはもらおうってことなのよォ!」。「しかし、悪い会社から目をつぶって給料もらう自分は、悪くはないのかナァ。だって、悪いヤツから金をもらうのは悪いヤツ、ってことだろが」。う~ん、部長の例え話、妙に分かりやすいですヨ。お局も、「それそれ、それよォ! それが一番分かりやすいわ。あ~、やっと納得したわよ。何であんなに気分が悪くなったのか。それよ、会社の悪口を外で言うヤツは、悪いヤツなのよ、そういうことなのネ」。
皆さん、いろいろありますが、会社の悪口を外で言うのは止めましょうネ、ホント。