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認識とアイデアの二つのフェーズ

 では、なぜ先に述べたような新しいビジネスモデルを日本企業はなかなか実現できないのでしょうか。これには二つのフェーズがあることを意識する必要があると考えています。

 まず、目に見えていない潜在化しているニーズ・ウォンツを見つけ、それとマッチングする新しい付加価値=製品・サービスのアイデアの種をいかに創造するかという純粋な認識とアイデア発想の段階がその第一のフェーズです。第二のフェーズは、そうやって見つけた新しいアイデアに基づく製品・サービスを自社の組織の中でどうやって実際に製品やサービスに転化させることができるのかという組織上の問題を解決する段階です。

 ここでは、まず第一のフェーズについて議論していきましょう。

 見えないニーズ・ウォンツに気づき、それを顕在化する認識力は、顕在化したものを認識するのとは違った能力です。事実を積み上げて、それを解析的に解くというのは日本の技術者にとっては今まで親しんだ行動様式であり、得意分野でしょう。ところがレコードをいくら研究しても、その延長としてCDは発明することができないのは明らかです。またCDをいくら研究しても、コンテンツのネット配信という新しい形態は答として得られないでしょう。

 問題を提示されることで、それを解決するという行動においては日本の技術者はとても優秀です。問題は既に設定してあるところがスタート地点なのです。ところが見えていない問題を認識し、更にそれを新しい問題として設定するということについては日本の技術者は不得意といわざるを得ません。

 日本は明治時代の富国強兵策の一環で、優秀な理系の人材を育成する必要がありました。その過程で費用対効果を最大にするために、人材を文系・理系にわけて育成したといわれています。育成に費用がかかる理系の人材を選別する必要があったからでしょう。西洋諸国では理系・文系の区別の概念はありません。理系も文系も科学なのです。欧米の大学などでは、理系と文系の学位を持つ人材は珍しくありません。

 アメリカを初めそういった国々では、アカウンティングとコンピュータ・サイエンスを取っているというような学生にたくさん会うことができます。それだけでなく、実際に社会に出た人が再び大学に戻って新しい知識を吸収するということが日常的に行われていますし、昨今日本でも行われるようになったインターン制度もかなり以前から普通に行われていました。

 こういった経験は、理系や文系といった殻の中から固定された視点や経験だけでものごとを見るということを防いでくれます。このことも新しい製品・サービスといったものが世に出る基盤になっているといえるでしょう。こうした文化の中での経験があれば、「文系の私にとっては技術は難しくてわからないから」とか「理系の私はビジネスには興味がないし、好きな技術だけを追い求めたい」などというような考え方は少なくなるでしょう。

 また、それらの経験は、ハード、ソフトだけ、製品だけ、サービスだけ、機能だけというような見方ではなく、それらが人の社会の中でどのように人と接し、人の生活に取り入れられるのかというような社会と人、製品の関わりという文脈の中で捉えるということが自然とできるようになるのではないでしょうか。そういったことができる、つまり新しい見方、人とは違った見方でものごとを捉え、そして実際にそれらと社会との関わりを考えることのできる人、即ち優秀な多角的視野を持つ「個人」が育成されるのではないかと思うのです。

 ハードやソフトといった機能だけで製品やサービスを考えると、社会、文化、伝統、歴史といったその背景や、それが大きな影響を及ぼす人びとの思考様式、行動様式の裏にある文脈が抜け落ちてしまう危険性があります。その結果、ひとりよがりの製品や単なる思いつきのレベルの製品が世の中に出て行ってしまうということに繋がってくるのです。

 アップルのスチーブン・ジョブスは、若い頃にニセ学生で潜り込んだリード大学で哲学やカリグラフィーを学んだことは有名です。西洋的な教育を受けた彼にとっては、哲学もカリグラフも後に関わるコンピュータもすべて科学とというくくりで捉え、ものごとを横断的に発想する基盤がこういった経験で形作られたと私には思えるのです。

 残念ながら、日本の企業ではそういった人材は今まではスポイルされる方向にありました。もちろん状況は変化しており、そういった個性のある個人に投資する、優秀な人間を取り込むといったことに積極的な企業も徐々に増えてきています。ユニクロを初めとして、こういった企業は急速に業績を上げてきています。