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 その日、シリコンバレーの空は雲が多く、そして雨も降っていた。「天も悲しんでいる」。そんな声がどこからか聞こえてきた――。

 2011年10月5日、米Apple社の前CEOであるSteve Jobs氏が死去したというニュースは、米シリコンバレー地域の人々に、大きな衝撃とともに伝わった(Tech-On!関連記事)。今年8月にJobs氏がApple社を退任すると報道されて以来( Tech-On!関連記事)、同氏の健康状態を懸念する声はあったが、それから間もない、あまりにも唐突な別れの訪れに、人々は驚き、そして悲嘆に暮れている。

 Jobs氏の逝去を受け、シリコンバレーのテクノロジー業界の著名人から多数のコメントが寄せられている( Tech-On!関連記事)。Jobs氏の死去は、当然のように全米の報道機関でトップ・ニュースとして扱われ、メディアは盛んに特別番組を編成した。「まるで、Elvis Presleyが死去した時のよう」。Jobs氏逝去のインパクトを、そのように評するメディアもあった。

 シリコンバレーとJobs氏のつながりは深い。同氏はこの地域で育ち、「(シリコンバレーの中心街の一つである)サニーベール市が、チェリー畑ばかりだった時代を、よく覚えている」と話すほど、地元の匂いを感じさせる人物だった。シリコンバレーはかつて、全米有数の果物の産地として知られていた。

 この地で育ったということだけではない。Jobs氏は、1960年代から1970年代に、シリコンバレーでも大きなムーブメントとなった「カウンター・カルチャー」を代表する人物でもある。例えば、Jobs氏がApple社のイベントで、あえて破れたジーンズやタートルネック姿で登場する一つの理由は、従来の保守的なテクノロジー・ビジネス業界に対する反発を示すことであった。現在、シリコンバレーの企業のほとんどで、ネクタイを着ける人物の姿を見かけないのは、同氏の影響によるとも言われている。

 Jobs氏のカウンター・カルチャー志向は、Apple社製品のデザインやユーザー・インタフェース(UI)にも影響を与えた。従来製品のUIは、テキストが中心だった。この形式に反発したJobs氏は、パソコンや携帯電話機のUIを一新させ、より使いやすいデザインに変更した。今では、シリコンバレーのベンチャー企業でも、UIやデザインの重要性を語る企業が珍しくないが、その発端はJobs氏にあるとも言えるだろう。

 Jobs氏はApple社だけでなく、米Pixar Animation Studios社のトップだった際にも、大きな存在感を示していた。Pixar社は、映画監督であるGeorge Lucas氏が立ち上げた米Lucasfilm社から誕生した企業で、Jobs氏のがトップになることで成功したと言われている。例えば、Pixar社の初期のコンピューター・アニメ映画「トイ・ストーリー」では、Jobs氏は製作責任者としてクレジットに記載されている。Pixar社の成功により、コンピューター・アニメーション、米国の映画業界で一定の地位を築いた。Jobs氏のこうしたコンテンツ業界での経験は、Apple社のメディア配信サービスの基礎となったという見方が少なくない。

 Jobs氏が、自分の病状の厳しさを知ったのは2004年である。このためApple社には、最悪の事態に対処するための準備期間があった。同社は恐らく、今後数年先までの商品企画やサービスの企画、そして企業運営の方向性について、Jobs氏在任中に練り上げてあるだろう。しかし、その種が尽きた後は、どうなるのだろうか。業界の常識を打ち破り、そしてそれを成功させるという、Jobs氏が十二分に見せつけてきた“才能”というものを、ほかの誰かがコピーするなんて、とても無理な話なのだから――。