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12.1型パネルを搭載した、エアボードの第2弾製品
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 実際、シンフォニープロジェクトの会議に参加してみて愕然とした。商品像はないものの、OSはLinuxを使うこと、通信手順はこうであるべきなどの技術論のみを議論していたのだ。この結果、既に商品化済みのエアボードまで、OSや通信プロトコルの変更を迫られたのだった。

 最終的には、エアボード事業部は解体され、HNCの中に作ったシンフォニープロジェクトの下部組織の中に取り込まれる決定がなされたのである。つまりは、前述の若手プレジデントの元に逆戻りしたわけだ。12.1型の液晶パネルを搭載して外観デザインを一新し、画質向上やブロードバンド対応を図ったエアボード2号機を発売し、評判も上々だった2002年7月のことだった。

20人で新プロジェクトを発足

 この決定に対して、誇りを持っていてやっていた部下のモチベーションが著しく落ちたのは説明するまでもない。だが、組織論のみで動く人たちには知る由もなかった。私自身も到底納得できることもなく、最後の手段として安藤社長に解体を踏みとどまっていただけるよう、直談判に向かったのだった。夜10時頃にホテルのラウンジで話したのだが、やはり覆ることはなかった。

 安藤さんとホテルで話した中で、今でも鮮明に覚えていることが一つある。エアボード事業部が解体されることを覆すのは難しいと悟った上で、「では、20人だけを私に預けて下さい」と駄目もとで訴えたことに二つ返事で了解してくれたのだ。

 10人の優秀な人間がいれば、何かを生み出せるというのが私の持論だった。問題は、数多くいる部下たちの中から20人を選択せざるを得ないことだった。全員が高いモチベーションを持っていただけに、本当につらい選択だった。選べなかった部下たちが組み込まれるプロジェクトから新しい何かが生まれるとは思えないことも影響した。最終的には、公平を期すために一つのグループと女性のみで、新プロジェクトを立ち上げたのだった。

 新プロジェクトの立ち上げ日は、2002年9月1日。20人になってしまった部下たちを集め、そこで「真のロケーション・フリーを実現する。家庭内だけでなく、外出先からも自宅のテレビを見られる真のロケーション・フリー・テレビをやる。プロジェクト名は『LFX:Location Free X』。一切、部外には口外しないように。発売は2004年春」と矢継ぎ早に伝えたのだ。そのときの皆の目を覚えているが、やる気に満ちた素晴らしい目をしていた。

 これが、世界初の外出先から自宅のテレビを見られる「ロケーションフリー(通称:ロケフリ)」の開発がスタートした瞬間だ。開発拠点も、テレビ発足の大崎西テックから大崎ゲートシティに移動し、再出発したのだった。