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営業部門が「スゴイ」と連呼

 いずれにせよ、こうした部下たちの頑張りによって、2003年の秋には試作がほぼ完成したのだった。初のお披露目は、2004年1月に米国ラスベガスで開催された「2004 Interational CES」と決めていた。このため、発売に向けて、試作が完成した2003年秋に国内のマーケティング部門の方との協議を進めていったのだった。

 連載の第3回で述べた組織変更により、マーケティング部門の方々と話す機会は久々だった。さらには、HNCではエアボードの販促をほとんど実施してなかったこともあり、マーケティング部門ではエアボードは忘れ去られつつある状態だった。

 こうした状況の中で、マーケティング部門の方々を大崎東テクノロジーセンターに集めた。私が、ロケーション・フリー・テレビのコンセプトである、「外出先から自宅のテレビを見える究極のロケーション・フリーを実現しようとしている」を伝えたところ、彼らの最初の反応は「そんなことができるわけがない」の一点張りだった。しかし、実際に試作機を見せると反応は一変し「スゴイ!」ののひと言を連呼してくれたのだった。マーケティング部門の協力をすぐ取り付けたのは言うまでもない。

 マーケティング部門の後ろ盾を得られた後は、急ピッチでモノゴトが進んだ。まずは、2004年1月開催のCESへの出展である。国内では、インターネット網を介して外出先からテレビを見るという基本機能を実現できることを証明済みだが、海外での実験は初めてだった。

ラスベガスでエアボードが復活
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 ラスベガスのソニー・ブースでセッティングし、15時間の時差がある大崎東テクノロジーセンターに置いたベースステーションとの接続実験を行ったところ、見事に日本のテレビ放送を受信できたのだった。この瞬間を出張者全員で感動したことを、今でも鮮明に覚えている。

 連載の第3回で話した通り、エアボードを米国市場に投入しようと準備していたものの実現できなかった米Sony Electronics社の担当者も「やっと市場投入できる。しかも大きく進化したエアボードを」と手放しで喜んでくれた。私自身、エアボード開発時に、無線映像伝送をはじめて成功した際と同様の感動を覚えたのだった。

CESの展示でトラブル

 ただし、喜びに浸る瞬間はわずかだった。日本のテレビ放送をラスベガスで映し出すことに成功してからわずか40分後のことだ。ロケーション・フリー・テレビの試作機の表示画面がフリーズしてしまったのだ。ラスベガスのソニー・ブースにある表示部と大崎東テクノロジーセンターにあるベースステーションを共に立ち上げなおすと、日本のテレビ放送をラスベガスで視聴できるのであるが、また40分後にはフリーズしてしまう。