ブーマーが卒業した後も、大学増設は耳に心地よい言葉なので続けられた。さらに、受験競争の緩和という新たな甘い言葉も生まれた。この言葉も大学人以外には抗い難い魅力であった。
20世紀末、私が大学教育に本格的に関わり始めた頃、臨時増募定員の削減が話題になり始めた。ちょうど、ベビーブーマーの子供達が大学を去っていき、人口減がはっきりしてきたときでもある。臨時増募とは、名前のごとく進学増に対応して入学定員を臨時に増やす処置である。その定員増に合わせて教員も増やされており、臨増ポストと呼ばれていた。このポストの固定化が大学の緊迫の問題であった。固定化ができなければ、在籍している教員の首を切らなければならないこととなる。
当時、子供の人口減少から既に幼稚園が廃園となり、小学校が統合化されていた。大学には最終教育機関という特権があった。社会的な要請を背景に、大学院定員の増加という形で臨増ポストの固定化を図った大学が多かった。
当時、大学の社会貢献が不十分だという議論が盛んに行われた。1992年の経済のバブル崩壊の後、当時は失われた10年という言葉が使われ、大学が産業に直接貢献することが求められた。