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 正に無い無い尽くし。それでは、大学の存在意義も無い。コラムを書く意味も無い。天の邪鬼が本性の私は「無い」は「有る」と見たい。無い物探しは止めて、有るもの探しをしよう。それが大学の21世紀モデルにつながるだろう。

 まず、世界でも稀な贅沢を知っていること。18世紀の奴隷、19世紀の植民地、20世紀のメイドをベースとする贅沢ではなく、機械を使う贅沢。つまり、チープな贅沢、民衆主義化の贅沢を知っている。次に、日本というチープな贅沢の頂点に立ち、これを少なくとも新興国が追いかけている現実。さらに、TwitterやFacebookなどのSNS(social network system)を使った皮相的なコミュニケーションに慣れている点。特に、動画、静止画を日常的に扱える技能。最後に、根本も基礎も知らずに、複雑怪奇な機器をマニュアル無しで扱える技能。

おおー。どれもが21世紀に生き抜くには重要な項目である。では、分からないことは検索で済まさせて、SNSや動画・静止画の扱いに大学では熟達させれば良いのか?浮ついた時代の浮ついた部分を教えれば良いのか?自問である。

 奉職する我が大学の場合、使う側の人材養成ではなく、作る側の人材養成が求められている。使い方を熟達している学生に、作る側の事情を教えることは消費者目線にそった開発者という20世紀モデル、または消費者と生産者が同一化していく21世紀モデルともに有用な人材養成である。