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 それで良ければ教える内容は変わらない。いままでどおり、物事の根本や基礎を教えれば良い。ただ、教え方は変えざるをえない。まずは、消費者意識にどっぷり浸かっている学生にプロ意識を植え付けることが先決であろう。機器の評論家ではなく、機器のクリエータサイドの見方を教えなければいけない。そして、一件、根本や基礎から遊離したように見える最新製品の動作原理を理解させないといけない。全ての物事に原理原則があることを理解させないといけない。

 さらに、生きるという行為は自分の力が基本であり、誰も助けてくれないことを理解させないといけない。これは親も同様だろう。大学に入っても、就職しても、結婚しても面倒を見たがる親がいる。気持ちは分かる。しかし、先に死ぬのは親である。親がいなくても生きていける子供育て上げる責任が親にはある。これは自戒であり、太古の昔から永遠となされてきた親の務めでもある。同時に大学人の務めでもある。我が学生さんたちを卒業後も生きていけるように学問を教えていかなければならない。

 我々は教授と呼ばれる。高校の先生までは教諭と呼ばれる。学生に教え、諭されるのが高校までの先生である。ご苦労様です。我々は教え、授けることが役目である。もっとも、最近は諭すばかり。本来の役割が果たせていない。受け側の準備ができていない。諭されるのを待つ学生ばかりである。

 やっぱり、身近な予想は愚痴になってしまう。馬券は買わなければ当たる。買えば外れる。他人の人生相談なら、いつでも正論を言えるが、自分のことは言い訳ばかり。21世紀モデルも他所の庭には文句も付けられるが、自分の庭は草ぼうぼう。

 もっとも、自分には自分が見えないから他人が大切。未熟な者同士が集まり、喧嘩し、協調し、競い合って大きな事を成し遂げるから人生は面白い。読者の皆様、今年も宜しく。そして、皆様のご多幸をお祈りします。