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 1995年9月。2陣営に分かれて争っていたDVD規格の統一が成った。その後,国内外の大手家電メーカー各社は据置型DVDプレーヤの開発にまい進する。松下電器産業(現パナソニック)でこの機器の開発を指揮することになったのは携帯型CDプレーヤを開発した四角(よすみ)利和だった。彼は,新設の光ディスク事業部で事業部長に就任しDVDプレーヤ第1号機の開発で技術者を叱咤激励した。

松下グループの一大戦略

 量産間際に生じた最大の難関。これを夜を徹して乗り越え,据置型DVDプレーヤの開発はようやくゴールを迎える。1996年11月1日には,ついに世界で初めてのDVDプレーヤの発売が国内で始まった。

 当時の報道によれば,松下電器は発売から1996年末までの2カ月間で,約4万台の据置型DVDプレーヤを出荷したという。このころ四角は,新聞でかなり勢いのある前向きなコメントを残している。「ソフトが少ない割にいい線いっている。ハードに対するクレームもほとんどない」(1996年12月4日付日本経済新聞),「2000年にはDVD関連で年商7000億円を目指す」(同年12月10日付日経産業新聞)と。

 四角が「DVD関連」と言っているのには理由がある。松下電器にとって,DVDに関連する事業は非常に多岐にわたっていた。DVDプレーヤだけでなく,松下寿電子工業や九州松下電器のDVD―ROM装置,松下通信工業のDVD搭載カーナビなど,多くのプロジェクトが立ち上がっていたのである。

 そのプロジェクトは,ハードウエア・ビジネスだけでなく,コンテンツ・ビジネスにも及んでいた。DVDタイトルのオーサリングや,DVDディスクの製造などを手掛ける工場を国内だけでなく,米国にも立ち上げている。四角は事業部長として,こうしたコンテンツ関連事業にも目を配っていた。ハードウエアだけでは,DVDビジネスは立ち上がらない。四角にとって,コンテンツ・ビジネスの開拓は大きな関心事の1つだった。

 当時のマスコミは,こうした動きを松下電器のコンテンツ事業に対する再チャレンジだと報じている。1995年4月に同社は,子会社だった米国のエンターテインメント企業MCA社の株式を売却し,経営権を手放す苦渋の選択をしたばかりだった。だからこそDVD関連ビジネスは,松下電器が再びコンテンツ制作分野への足掛かりを模索し,仕切り直すキッカケでもあった。

携帯型DVDプレーヤ開発の歴史
携帯型DVDプレーヤ開発の歴史<br>CD:compact disc  CSS:content scrambling system  DVD:Digital Video Disc
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