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半導体産業人協会 代表理事の牧本次生氏
半導体産業人協会 代表理事の牧本次生氏
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《はじめに》


 2012年12月10日。経営危機にあるルネサス エレクトロニクスを、官民が一体となって支援することが正式に発表された(Tech-On!関連記事1同2)。産業革新機構と、トヨタ自動車や日産自動車をはじめとする顧客企業8社を割当先とする第三者割当増資により、ルネサスが1500億円を調達するというのがそのスキームだ。ルネサスはこの資金を、コアコンピタンスの強化などに振り向ける。そのコアコンピタンスとは言うまでもなく、約30%と世界トップの市場シェアを握るマイコン事業である。今後は、アナログ&パワー半導体、ソフトウエアや開発キットを組み合わせたソリューション事業の強化によって経営再建を図るという。


 ルネサスの生命線であるマイコン事業を、母体企業の一つである日立製作所で育てた経験を持つのが、牧本次生氏(半導体産業人協会 代表理事)である。日立で長く半導体事業を率い、現ルネサス エレクトロニクス社長の赤尾泰氏をはじめとする後進を育てるとともに、後にソニーへの電撃移籍を果たした“ミスター半導体”の異名を取る人物である。ルネサスが再出発しようとする今、同社のマイコン事業のルーツとなった日立のマイコン事業の歩みを、牧本氏が振り返る。

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 「LSI(large scale integrated circuit:大規模集積回路)」という言葉を牧本次生が初めて耳にしたのは、1966年2月のことだった。当時、牧本は日立製作所から米Stanford Universityに留学していた。米国東海岸のフィラデルフィアに飛び、米University of Pennsylvaniaで開催されたその年の「ISSCC(International Solid-State Circuits Conference)」に参加した。初日の基調講演に登壇したのは、IC(integrated circuit:集積回路)の発明者の一人として当時既に名が知られていたJack Kilby。その講演タイトルがずばり「LSI」だった。


 Kilbyはこの講演で「まもなくICの時代は終わる。これからはLSIの時代だ」と力説した。ICの集積度がわずか数ゲートだった時代に、数百ゲートを集積できる技術を紹介したKilbyの話は、牧本にとって衝撃的だった。なにしろ「Stanford Universityに留学したのは、ICをみっちりと学ぶためだったのに、その時代は終わると断言されてしまった」(牧本)からだ。


 Kilbyの講演から5カ月後の1966年7月、牧本は留学を終えて、元の勤務先である日立製作所 武蔵工場に戻った。すぐさま牧本は「日立もLSIの時代に備えるべき」と上長たちに訴え、自らそうした業務に取り組みたいと願い出た。当時、武蔵工場長だった伴野(ともの)正美らはこの願いを聞き入れる。牧本は中央研究所へ異動となり、LSIの研究に1年間従事した。その後、1968年8月にはIC設計課長として武蔵工場に呼び戻され、LSIの製品化を担当することになった。


 日立において、どのようなアプリケーションに向けてLSIを開発するのか。ターゲットになったのは、同社の亀戸工場が事業を担当していた電卓だった。当時、最新鋭のエレクトロニクス機器だった電卓のLSI化に総力を挙げて取り組もうという機運が、社内に生まれていたのだ。1968年には亀戸工場から牧本のもとに、「オールLSI電卓を1970年中に商品化する」というお達しが下る。搭載できるLSIの数は10個以内。当時としてはかなり思い切った目標設定だった。1969年1月には商品事業部と半導体事業部、中央研究所が一体となり、LSI開発のための「特別研究プロジェクト(特研)」が始動する。文字通り、全社挙げての一大プロジェクトである。


 そのわずか2カ月後の1969年3月にシャープが行った発表に、牧本は衝撃を受けた。米North American Rockwell社(当時)と共同開発した世界初のLSI電卓「QT-8D」を発売する、というのだ。QT-8Dは、North American Rockwell社製の4個のLSIと2個のICから構成されていた。従来の電卓に比べてはるかに小型・軽量である上に、価格も9万8000円と当時としては破格の安さだった。North American Rockwell社は航空宇宙分野に強みを持ち、そのため衛星などに使う半導体の開発をリードする存在だった。その技術の蓄積を電卓用LSIに生かしたのだ。


 オールLSI電卓の発売で先を越された悔しさは大きかったが、シャープの発表は牧本たち特研メンバーの士気を高めた。開発を加速し、1970年5月には日立として初めてのオールLSI電卓の新聞発表にこぎつける。シャープからは1年ほど後れを取ったが、「(LSIまでを含む)国産品としては業界初という栄誉を勝ち取った」(牧本)。このLSI電卓に搭載したのが、牧本らが開発を担ったカスタムLSI「HD3200シリーズ」である。この間、「来るべきLSIの時代を引っ張るのは若い人材だ」という全社方針の下で、牧本は1969年11月に32歳の若さで「製品開発部長」に抜擢されていた。32歳での部長昇格という記録は、日立においていまだに破られていない。