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タイトル

 米Motorola社との特許係争が終わった1990年、牧本たちは新たなマイコンの開発計画を立ち上げる。プログラム格納用メモリとして、フラッシュ・メモリを内蔵するマイコン(フラッシュ・マイコン)である。従来の不揮発性メモリの代表格だったEPROMは、データを消去する際に紫外線を照射しなければならなかった。これに対して、1980年代後半に東芝が実用化したフラッシュ・メモリは、電気的にデータを一括消去できた。1990年ごろにはMビット級の大容量品も登場し始めていた。

 フィールド・プログラマブルなマイコン「ZTAT(Zero Turn Around Time)マイコン」を日立製作所が市場投入したのは1985年。その際には、ユーザーが1回だけプログラムを書き込めるOTP(one time programmable)メモリとしてEPROMを搭載していた。EPROMをフラッシュ・メモリに置き換えれば、ユーザーが製品出荷後を含めて何度でもプログラムを書き換えられるようになる。これによりマイコンの利便性は格段に高まる。マイコンにフラッシュ・メモリを搭載しようと牧本たちが考えたのは、自然な流れだった。

 開発するフラッシュ・マイコンを牧本たちは「F-ZTAT」と名付けた。「F」はフラッシュ・メモリの頭文字であると同時に、フィールド・プログラマブル、そしてフレキシブルにも通じる。ZTATの開発時にもそうしたように、F-ZTATについても、ブランドとしてその名を売り込もうと商標登録を申請した。

 F-ZTATマイコンの開発は、ZTATマイコンの主力開発メンバーでもあった木原利昌が部長を務めるマイコン設計部が主導した。量産への技術課題は大きく三つあった。第1は、コスト競争力の高いメモリ・セル構造を実現し、それを高い歩留りで製造できるプロセス技術を確立すること。第2は、十分な書き換え回数を確保すること。第3は、十分なデータ保持時間(データ・リテンション)を確保すること。マイコン設計部に加えて、メモリ設計部やプロセス技術部門、製造技術部門などの技術者が一丸となり、これらの課題の克服に取り組んだ。

 F-ZTATマイコンの第1弾製品「H8/538F」の市場投入にこぎ着けたのは1993年7月。H8/538Fは、産業機器やオフィス機器をターゲットにした16ビット・マイコンである。0.8μmルールのCMOS技術で製造し、最大動作周波数は16MHz。2KバイトのRAMに加え、60Kバイトのフラッシュ・メモリを搭載していた。

 H8/538Fは、従来のマイコンではカバーできなかった、さまざまな市場を開拓する原動力となった。テスト・マーケット用の少量生産品や、仕様が標準化されていない段階の機器、製品出荷後にプログラム変更が起こり得る自動車や家電、定期的なキャリブレーションが必要な計測機器、などである。

 これら幅広い分野での多様なニーズに応えようと、牧本たちはF-ZTATマイコンのラインナップを8ビット品などへと拡張することにした。結果、1998年には品種数が33に達し、カバー範囲は産業機器やオフィス機器にとどまらず、民生機器、情報機器、自動車などへ広がっていった。これに伴い、日立におけるF-ZTATマイコンの年間生産個数は、1995年の10万個から、1996年には400万個、1997年には4000万個とすさまじい勢いで増えた。2000年には年間生産個数が1億個に達する。こうして、フラッシュ・マイコンは日立の半導体事業の屋台骨を支える製品に育った。これがゆくゆく、ルネサス エレクトロニクスの主力事業の土台となったわけだ。