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タイトル
 独自アーキテクチャのマイコンを自由に開発し、販売できるようになったことを受けて、日立製作所はマイコンの拡販のためのプロジェクトを立ち上げた。このプロジェクトを牧本は「Micom Grand Operation:MGO」と名付けた。“Operation”は軍事作戦などの「作戦」を意味する言葉で、MGOはいわば「マイコン大作戦」だ。

 牧本の念頭にあったのは、1987年に高崎工場長に就任したころに読んだ、「Marketing High Technology」という書籍の中の“Operation Crash”(粉砕作戦)という言葉だった。この書籍は、米Intel社と米Motorola社が1970年代後半に繰り広げた16ビット・マイコンをめぐる市場争いを描いたノンフィクション。当時のIntel社でマイコンのマーケティングを陣頭指揮した著者William H. Davidowが、Intel社がいかにして勝利を収めたかを内部関係者の視点で記したものだ。牧本はこの書籍に感銘を受け、繰り返し熟読していた。

 Davidowが本書で主張したのは、「デバイス(Device)」と「プロダクト(Product)」の違いである。「デバイス」の競争軸になるのは、“裸”の状態での性能。すなわち、チップの処理速度や消費電力、メモリ容量などである。この競争軸では、Intel社の16ビット・マイコン「8086」は、後発のMotorola社の「68000」に対して分が悪かった。一方、「プロダクト」の競争軸は、評価ボードやソフトウエア、製品供給体制などを含む、トータルの顧客サポートだとDavidowは説いた。Davidow率いるIntel陣営は、「デバイスで負けてもプロダクトでは勝て!」を合言葉に、設計開発部門やマーケティング部門が総力を挙げて戦い、勝利したのだった。

 MGOが正式に始動したのは1991年2月。マイコン設計部門を中心に、エース級の技術者たちをプロジェクト・メンバーとして動員した。牧本はIntel社の取り組みにならい、設計開発と生産、営業の各部門の密接な協力と情報共有を重視した。MGOのメンバーは勤務場所を販売部門に移し、販売部門が全体を取り仕切る形で「生販一体」のマーケティング体制を敷いた。これにより、最終顧客とのコミュニケーション・ラインを一本化し、「マイコンの技術内容に関する顧客からの事細かな質問にもその場で回答できるようにした」(牧本)。

 1991~1993年の第1期に13人で始まったMGOのメンバー数は、1993~1995年の第2期には約30人となり、1995~1997年の第3期には約80人にまで増えた。拡販を目指した製品は、第1期では日立初のオリジナル品である「H8マイコン」、第2期以降は「SHマイコン」やH8マイコンのフラッシュ・メモリ搭載版「F-ZTAT」などが加わった。

 牧本はこのプロジェクトにおいて、自ら“足を使う”ことを惜しまなかった。営業担当者やMGOメンバーからの要請があれば、進んでトップセールスに出向いた。牧本が熟読していた書籍「Marketing High Technology」は、マイコンのようにアーキテクチャが重要な要素となる製品では、経営トップのコミットメントがとりわけ重要だと説いていた。著者のDavidowがこの記述の念頭に置いた人物は、Intel社創業者の一人であるRobert Noyceではないかと牧本は感じた。Noyceがトップセールスに訪れると、顧客は必ずNoyceにほれ込んで“信者”になる。そんな話を耳にしていたからだ。かつて牧本自身、マイコンの技術提携に関する交渉の場でNoyceと対峙した経験がある。NoyceはJack Kilbyと共にICを発明した稀代の技術者であると同時に、「世界一の半導体セールスマンでもあった」(牧本)。

 MGOはやがて、日立のマイコン事業の躍進に結実する。MGO始動前の1991年には、日立におけるマイコンの月間売上高は50億円規模と小さく、しかもその大半がMotorola社のアーキテクチャに基づく旧世代の製品だった。H8マイコンなどの日立オリジナル品の比率は10%ほどにすぎなかったのだ。MGOが始動すると、日立オリジナル品の比率は徐々に高まっていった。1994年にはマイコンの月間売上高は80億円ほどになり、うち56%(45億円)を日立オリジナル品が占めて旧製品を抜いた。その後も、H8マイコンやSHマイコンが牽引車となってマイコンの売上高は伸び続けた。

 1997年下期には、日立の半導体事業にとって歴史的な瞬間が訪れる。1996年の不況のあおりを受けたメモリ事業の月間売上高が107億円に落ち込んだのに対し、ASICと合わせたマイコンの月間売上高は131億円となり、初めてメモリを抜いた。マイコンは、日立の半導体事業の大黒柱に育ったのだ。