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 家電による核家族の分裂を話題の一つにしているが、主犯の一つが電話である。ベルの発明と言われている、遠方の人とリアルタイムで会話できる電話。この電話に社会は振り回されてきた。最初は憧れ。お金持ちの持ち物だった。昔の下宿生なら「呼び出し」。大家さんに電話を取り次いでもらっていた。それが、家庭に入ってきた。40年前の大学生は親の目をかいくぐって恋人と電話をしていた。それが、核分裂。一人一台の時代である。親の目も、人の目も関係なく、つながる時代を迎えた。21世紀である。しかも、メールに「LINE」。音声を超えて、文字にスタンプの時代である。

 20世紀、国際電話は大騒ぎだった。今は、どこでもローミング。海外からも、海外に居ても、四六時中電話やメールが到来する。もちろん、静止画も動画も自由自在に扱える。国境を越えるだけでなく、製品の壁も易々と越えている。スマホやノートになると、ワープロ、デジカメ、テレビ、クレジット・カードなども機能として盛り込んでいる。全てはスマホの時代である。

 ここまでは、1995年と1997年の拙著「ハロー!PHS」「たまごっち学術考」(いずれもオーム社)で予想した世界観である。その後を考えていきたい。全てはスマホ。それではスマホに死角はないのかと思うのが天の邪鬼。何事も絶好調とは終わりの始まり。「ダイヤルする」という言葉を死後にした携帯電話は「スマホ」という言葉に駆逐されつつある。そのスマホは何に駆逐されるのだろうか。

 会話からチャット、図書館から検索、デパートからネット・オークションと世界を変えてきた。もっとも、ネット詐欺、ネット中毒、情報漏洩などが世間を騒がせている。便利さだけでなく、弊害が目立ってきている。これは、いささか仮想に行きすぎの感がある。社会は現実回帰の傾向を深めている。