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星、オーディオ製作、探険

 ソニーCSLは、住宅街の比較的こじんまりしたビルの一角にある。JR五反田駅から続く通称「ソニー通り」を品川に向かって歩き、途中の路地を入った場所である。近辺は、元本社ビルをはじめとするソニーの多くの施設が存在する「ソニー村」だった。ソニー本社が品川駅の海側に新設された大型ビルに移転してからも、ソニーCSLはこの地に残った。御殿山と呼ばれるこの地域は、ソニー創業の地であり、同社のDNAを感じられる場所である。

ソニーCSLの内部。住宅街の比較的こじんまりしたビルの一角にある。(写真:ソニーCSL)
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 北野氏に会った第一印象は、一般的な大企業の研究所にいるマネジメント職というよりも、研究が大好きなバリバリの研究者というものだった。顔を合わせるのが初めてにもかかわらず、どんどんと研究や世の中の話が進む。CSL経営の秘訣について聞く前に、この人についてもう少し知りたいと思った。

 北野氏は、埼玉県川越市の生まれ。小さな頃には天文学者を夢見ていた。全天恒星図や天文関連のデータブックを片手に天体望遠鏡で星を見る少年時代を過ごした。

 「子供向けの本ではなく、マニア向けの本を読んでいました。データブックだから、基本的に数字の羅列。それで『惑星がいつ逆行して、順行に戻る』といったことを面白がっていた」

 水彩画や習字、バイオリンも習ったが、やはり星が好きだったという。中学高校は、早稲田実業学校に入る。当時の早稲田実業は、バンカラな校風。北野氏の関心は、授業よりももっぱら秋葉原通いだった。学校のクラブに入っていたわけではなく個人の独学で、エレクトロニクスや無線関連の雑誌を頼りに、シンセサイザー、アンプ、ラジオ、スピーカーなどを作るのが楽しみだった。

 北野氏は大学進学の時に、同級生たちとは違う道を歩み始める。早稲田実業は、早稲田大学への進学が当然という価値観だった。しかし、北野氏は、他の人とは違うことをやりたいと感じ始めた。早稲田も悪くないが、学生も多い。当時はまだ学生運動の余波が残り、キャンパスもあまりきれいではなかった。それ以上に、中学・高校・大学と続く「早稲田」という単一の価値観に疑問を感じたのだという。

 そんなとき、趣味にしていたサイクリングによる“探険”の途中に、たまたま大きな公園に迷い込んだ。