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日本はもう終わりだと思った(笑)

加藤 サイクリングですか。オーディオ機器の製作とはイメージが違いますね。

北野 あちこちをサイクリングしたり、歩き回ったりするのも好きだったんです。地図を30分だけ見て、あとは見ないで行けるところまで行ってみようとか、高校から川越の自宅まで歩いてみようとか、そういうくだらない挑戦をしていました。

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加藤 早実はスポーツも有名ですけれど、特に運動部に入っていたわけでないんですね。

北野 早稲田実業のスポーツは、ほぼプロなので。インターハイや甲子園が当たり前ですから、普通の人は相手にされない(笑)。相当な覚悟がないと早実の運動部なんて、とても入れませんよ。

加藤 かつてのアキバ少年から考えると、今の秋葉原はどう見えますか。私もアキバ少年だったので、今行くとショックを受けることが多いんです。

北野 全然違いますよ。最近は電気街というよりも、フィギュアを買いに行くという感じですもんね。何年か前に久しぶりに秋葉原に行ったら、電子部品を売っていた場所がフィギュア屋さんになっていて。すごくショックで、日本はもう終わりだと思った(笑)。

 でも、よく観察すると、そこに欧米や東南アジアから観光客が集まっているんですよね。だから、「ああ、ノスタルジーに過ぎないんだ」と思い直したんです。要するに秋葉原は、その時代における日本の最強ブランドが頑然とあり続ける場所なんです。かつてはエレクトロニクスで、今はサブカルやフィギュア、AKBが最強ということ。それが新しい日本の姿ということなのでしょう。

加藤 なるほど。確かに、そうですね。ICUでは物理専攻だったと聞きますが、なぜ趣味の電子工学ではなく、物理だったんですか。

北野 大学で勉強するなら本質的なところを学びたいと思ったからです。ICUには教養学部しかないんです。その中で理学科の物理学専攻を希望しました。大きな理工学部を抱える大学のようにエッジの効いた研究をしているわけではないけれど、少人数だったので面白かったですね。

 理学科全体で50人くらいで、物理は10人程度。卒論に至っては、指導教官と1対1でしたから。東京大学を退官した柿内賢信先生に指導していただきました。先生は、キャンパスの中にご自宅を借りられていて、そのリビングでお茶を飲みながら、ずっと卒論の話をするという日本の大学ではあり得ない良い環境でした。