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異質の大波が次々に押し寄せ、ISDNを不要に

 同じ時期、交換のデジタル化と伝送のデジタル化が達成された。これによって、通信と情報処理の融合は一つの完成系となる。すべての情報をデジタル化し、同じ通信網で統合的に処理する方式、これがサービス統合デジタルネットワーク、すなわち「ISDN(Integrated Services Digital Network)」である。いわゆる先進諸国で、これが1980年代に達成される。日本では1984年に実用化試験が行われ、1988年に商用サービスが始まった。

 デジタル化してしまえば、音声も文字もデータも、さらには動画も、同じ「1と0」の連なりになる。あらゆるメッセージをデジタル化し、デジタル交換機で統合的に処理することが可能になった。この当時、「ニューメディア」が流行語となる。ISDNは従来の通信や放送などの制約にとらわれない、新しいメディアを可能にする──はずだった。

 しかし現実に起こったことは、まるで違う。1980年代の半ばごろから、新しい時代が確かに始まった。上記の電話技術の進展方向とは異質の大波が押し寄せてきたのである。その大波とは、携帯電話とインターネットである。そして従来構造の電話交換網を不要にしていく。ようやく出来上がり「さあこれから」と思ったら、「もう要らない」と言われてしまったのである。

通信機器の生産は21世紀に入って急落

 例によって生産動向と貿易動向を確認しておこう。図2に見るように、通信機器の生産動向には1985年を境とする変化は見られない。この点、テレビなどの民生機器の動向と違う。上に述べたように、1980年代半ばは、ISDNへの投資が盛んだった時期である。これが通信機器の順調な生産の伸びを支えていたと考えられる。

図2 通信機器の生産と輸出入
資料:経済産業省機械統計、財務省貿易統計
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 異変は1990年代に現れる。2000年を過ぎると他の機器と同じく、生産は急速に減少している。2000年に4兆円をはるかに超えていた生産金額は、2012年には1兆円ほどで、4分の1以下だ。21世紀に入ってからの日本電子産業の生産衰退に、通信機器の落ち込みの影響は大きい。また、2005年を過ぎたあたりから輸入が急増している。通信機器の貿易収支は大幅な赤字となる。

 通信自由化によって、電話機も様変わりする。電電公社貸与の黒い機械ではなくなり、カラフルなデザインを施された小物家電となった。1987年にコードレス電話の販売が自由化され、人気商品となる。この時期、1980年代後半には、固定電話機の生産が成長した。しかし1990年を過ぎると、たちまち降下していく (図3)。固定電話から携帯電話への移行が始まったのである。携帯電話機は固定電話機を、生産金額でたちまち追い越し、2000年代前半の全盛期には2兆円近い生産金額となる。ところが2000年代後半になると生産が急落する(図3)。しかし携帯電話の加入者が減ったわけではない。

図3 電話機の生産動向
資料:経済産業省 機械統計
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