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旧電電ファミリーの消長

 米国のAT&T社と日本の電電公社は、発生段階の事業形態に違いがある。AT&T社の前身であるBell Telephone Company(ベル電話会社)が1877年に電話事業を始めたとき、同社は地域電話会社に電話機をリースし、電話事業のライセンスを供与した。電話サービスを加入者に提供したのは地域電話会社である。このビジネス・モデルでは、電話機製造はベル社の中核事業だ。AT&Tは機器製造部門 (WE社) を一貫して傘下に持ち続ける。米国の通信自由化では、この垂直統合が解体される。

 日本では電話事業は国営で始まった。それを引き継ぐ電電公社の場合も、加入者への電話サービス提供が中核事業である。電話機をはじめとする通信機器は、メーカーから調達した。この結果日本には、電電公社に通信機器を納める企業群が形成され、電電ファミリーと呼ばれる。NEC、日立製作所、富士通、沖電気などが電電ファミリーの中核企業だった。

 電電公社は機器の製造はしない。けれども研究開発は、電気通信研究所などで行ってきた。その研究成果などを中心にして、電電公社と電電ファミリーは、技術開発、製品開発において協力関係にあった。

 通信自由化後に、電電ファミリーはどうなったか。技術・製品・市場が大きく変わるとき (携帯電話とインターネットという大波の到来時期) と、自由化の時期が同期していたこと、問題の本質は、ここにある。電電公社と電電ファミリーが長年かけて開発してきた、例えば交換機、これをインターネットは不要にしてしまう。

 米国では、この変化に新興ベンチャー企業が挑戦し、成果を上げていく。AT&Tグループの存在感は低下していった。日本では、通信サービス供給者としてのNTTグループの地位は、それほど下がっていない。けれども旧電電ファミリーは、新興の情報通信市場では存在感が小さい。一方で米国と違い、新興企業群が続々育つという気配もない。電子立国衰退の一因である。