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ベンチャー企業への転職によるスキルアップが起業の布石に

 後藤氏は、福岡市内の大学の経営学部を卒業すると、高校生まで育った地元である大分市に本社がある大手半導体製造システム企業に就職した。ところが入社直後に、予想していなかった東京都内での勤務を命じられ、大手電機メーカーの携帯電話機向けのソフトウエア開発を請け負っている部門に配属される。

 ここで後藤氏は、当時、日本の大手電機メーカーが開発にしのぎを削っていた携帯電話機を制御するソフトウエア(ファームウエア)の開発の一翼を担う。大学を出たばかりの新卒としては、仕事のやり方を学ぶ機会にはなったが、主にソフトウエアの仕様を書く仕事が中心だったために、次第に子どもの時から心に秘めていた起業家気質が頭を出し、「このままでは大プロジェクトを遂行する歯車の1つに過ぎない」と考え始めた。

 この結果、新卒として入社した最初の会社を約2年で退職し、2001年10月に東京都内に拠点を構えていたIT系ベンチャー企業への転職を実行した。小規模なベンチャー企業であれば、将来、起業する際の事業ノウハウなどが学べると考えたからだった。

 後藤氏は「成長期の新進気鋭のIT系ベンチャー企業で、仕事のやり方をあれこれ学んだ」という。同社は、いろいろな企業の情報システムの開発を請け負うサービス事業が主力事業だった。詳細は各クライアント企業の承諾が必要になるために、話せないとしながら、企業のメール配信サービスのアプリケーションやスマートフォン・携帯電話機による顧客からの入力サービスのシステムなどと、「多彩なサービス事業の開発に携わることができた」という。

 「成長期のIT系ベンチャー企業が請け負う仕事の中身は面白く、さまざまなアイデアを絞り出して、サービス内容を実現した」と語り、「転職によってさまざまな仕事のスキルを学ぶことができた点が良かった」と打ち明ける。

 仕事内容が面白いためか、アプリケーション開発者として頭角を現し、プロジェクトマネージャー、部長、事業部長、子会社の取締役などと次第に出世していった。この結果、給料も上がり、いずれは東京都郊外に自宅を建てようと考え、ある程度の建築費用を貯めることができた。

 Apple社がiPhoneを発売したのは、そうした最中だった。さらにApple社は、その後継機種を発売し続けた。このiPhoneを操作用の機器として活用するアイデアがわき、IT系ベンチャー企業に勤務するかたわら、「休日には、そのアイデアを実現する回路を設計し、実際にプロトタイプの回路を組んだ試作をしてみた」と説明する。こうしたアイデアの積み重ねの中から産まれたのが、iRemoconの原型だった。

 IT系ベンチャー企業に勤務しながら、2009年10月のある休日に「将来の起業に向けて、iRemoconの原型の量産試作に踏み切り、事業化を模索していた」という。1000台規模での量産試作を実行し、iRemoconを操作するマニュアルを整備した。企画内容を考え、ほぼ1人で原型を設計し、創業前の仮想のファブレス企業として、量産試作を外部の企業に依頼した。この量産試作の資金は、自宅建設用に貯めた貯金を流用してまかなった。

 感心する点は、浮かんだアイデアを基に、量産試作を実行し、目に見える製品に仕上げた点である。ベンチャー企業を創業する“王道”ではあるが、日本ではなかなか実際には実行できないことでもある。この事業資金を支えたのは、いずれ建てたいと考えて貯めていた、自宅の建設資金である。「妻に相談し、起業に向けた準備資金として使うことを納得してもらった」と、後藤社長は笑う。