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外国製半導体シェアをめぐって攻防

 日米半導体協定締結の際、日本の国内市場における外国製半導体製品のシェア上昇、これを事実上、約束する。「20%」という数値を「約束した、しない」で日米の争いが続いた。シェア数値の約束の有無はともかく、日本は官民を挙げて外国製半導体の輸入を増やす努力をした。そのための組織、「半導体国際交流センター」(略称INSEC) までつくる。

 しかし「一定の国内マーケットを供出するという数値目標は、さまざまなゆがみを日本の半導体企業の競争上の地位にもたらしたのである。その反省から、1994年からの日米自動車交渉では、日本政府が自動車部品のアメリカからの輸入に関する数値目標の設定要求にがんとして応じない強い姿勢をとった、といわれている。日米半導体協定での失敗が大きな原因なのである」 [伊丹ほか、前掲書、p.20]。半導体産業の失敗の教訓を、自動車産業は活かしたと言うべきか。

 外国製半導体シェアの目安として、半導体の国内需要(内需)に占める輸入のシェアを、図4に示す。内需を「生産+輸入-輸出」とし、この内需に対する輸入の比率を「輸入シェア」とした。貿易摩擦当時の「外国製半導体シェア」の定義は、はっきりしていない。

図4 集積回路の内需と輸入シェアの推移
輸入シェアは輸入/内需、内需=生産+輸入-輸出として計算。資料:財務省貿易統計、経産省機械統計
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 ともあれ図4に見るように1980年代は輸入シェアが確かに低い。1990年代初頭まで、輸入シェアは20%以下である。しかし1990年代初頭に20%を超え、以後は急速に上がっていく。

 奇妙なことに2008年以後は、輸入シェアが100%を超えている。内需より輸入の方が多いということである。内需=生産+輸入-輸出だから、輸入>内需は、輸出>生産を意味する。

 たしかに図3に見るように、近年は輸出が生産を上回っている。常識的には奇妙である。こうなる可能性はいくつか考えられる。一つは生産と輸出の時間差である。生産が大きかったときの製品を在庫として抱え、何年か後に輸出する。そのときは生産が落ち込んでいて、同一年で比較すると、輸出が生産より大きくなる。

 輸入品が再輸出されている可能性もある。一種の中継貿易である。例えば外国製半導体製品を輸入して検査したうえ、自社の電子機器を製造している外国工場へ向けて輸出する。

 海外ファウンドリの利用増大も関係しているかもしれない。国内生産は確実に減少するし、輸入が増える可能性も高いからである。

 いずれにしても背景にあるのは、日本国内における半導体需要の減少である(図4)。それは電子機器の国内生産減少を意味している。