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2000年代後半には日本企業もファブレスへ傾斜

 離合集散を繰り返しながら、NECエレクトロニクス、ルネサス、それに富士通やパナソニックも、2000年代の半ばごろからは、製造部門を縮小・売却し、ファウンドリへの依存を進める。

 設計-製造の統合にこだわって業績を悪化させ、経営が立ち行かなくなった段階で、製造を切り捨て、ファウンドリ依存に走る。もう間に合わず、設計部門も縮小せざるを得ない。2013年には、大量の半導体技術者が転職を余儀なくされている[大下、「半導体技術者 越境のとき」、『日経エレクトロニクス』、2013年11月11日号、pp.27-50]。

 なお大手の離合集散とは別に、以前からファブレスの半導体事業を進めてきたベンチャー企業は、日本にも存在する。例えばメガチップス(1990年設立)、ザインエレクトロニクス(1991年設立)などである。

製造に強いはずなのにファウンドリになろうとはしなかった

 上記の半導体事業の切り離しにおいて、設計と製造を分けることは、ほとんど行われていない。別の言い方をすると、ファウンドリとして名乗りを上げるところはなかった。日本の半導体メーカーは自他共に、設計は苦手でも製造には強いと言っていた。それなのにファウンドリになろうとするところがない。これが私には不思議である。

 日本では「ものづくり」の礼賛が神話的、信仰的である。「日本経済を発展させるためには『ものづくり』の力を強化しなければならない」。相変わらず産学官挙げて、こう合唱している。それほど「ものづくり」が好きで得意なら、なぜ日本企業はファウンドリを選ばず、ファブレスへ走るのか。日本企業の言動には整合性がないと私は思う。

 日本の半導体メーカーが半導体事業の切り離しを模索し始めたのは、1990年代後半である。ファブレスとファウンドリによる設計と製造の分業は、既に業界内でビジネスモデルとして確立している。各社の製造部門を切り出して統合、大きなファウンドリを立ち上げる。設計部門は社内に残す。こういう選択肢があったはずである(上記のパナソニックの例は、これに近い)。実際、通産省(現経済産業省)と業界の一部には、「日の丸ファウンドリ」を立ち上げようとする構想があった。しかし企業が、このファウンドリ構想を拒否したと聞く。現実には日本企業は、設計と製造を統合したまま、半導体事業全体を切り離した。

 実は技術雑誌での私自身の経験も、この切り離し方に並行する。1980年代、私は『日経エレクトロニクス』の編集長をしていた。前記のように、半導体の設計技術者と製造技術者の興味や関心が違ってきたこと、これを雑誌記事への反応としても実感する。やがて雑誌を分けようということになる。こうして誕生したのが『日経マイクロデバイス』(1985年創刊、2010年休刊)である。

 『日経エレクトロニクス』は半導体の設計をカバーし、『日経マイクロデバイス』は半導体の製造技術に注力する、私はそういうふうに分けたかった。しかし私のこの考えは社内で理解されない。半導体業界に設計と製造の分業を説いたときと同様、ここでも私の言葉の力が弱かったのだろう。

 『日経マイクロデバイス』は半導体を「作る」人のための雑誌、『日経エレクトロニクス』は半導体を「使う」人のための雑誌、こう分けることになる。この分け方は、日本の電機各社の半導体事業の切り離しの形と並行している。切り離された半導体事業会社は半導体を「作り」、元の電機会社は半導体を「使う」。設計と製造に分けることは、半導体でも雑誌でも、日本では実現しなかった。