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世界の動きに背いた日本の電子情報通信産業

 先に述べた自動車産業と電子産業の違いは世界共通である。けれども世界全体で、電子産業の成長が自動車産業に劣っているわけではない。世界の他地域の電子産業は「圧力」に対応して変化したからである。日本の電子産業は「圧力」に背き、変化しようとしなかった。設計と製造の垂直統合に固執し、ソフトウエアによる付加価値向上も、ハードウエアの価格低下も、中途半端にしか達成できなかった。

 「設計部門と製造部門は同一企業内になければならない。なぜなら設計部門と製造部門は密接に交流し、情報を交換しなければならないからだ。そうでないと良い物は作れない」。日本企業は、しばしば、そう主張してきた。

 しかし数多くの実例は、その主張が事実ではないことを示している。たとえば出版社と印刷会社は長年にわたって分業を続けてきた。ファウンドリやEMSが成長を続けているのに、垂直統合に固執した日本のエレクトロニクス企業は、同じ時期に存在感を失った。

 金銭のやりとりを伴う他社との分業の方が、真剣な情報交換が行われる。そういう声をしばしば聞く。それぞれの部門長が出世争いをしていたりすると、部門間の情報交換は、同一社内でありながら悲惨になる。

 もちろんインターネット以前には、近くにいることの効果は大きかった。遠くの他社と取り引きするより、近くの社内と一緒に仕事をする。このほうが速いし安い。この状況をインターネットが変える。隣席の同僚と地球の裏側にいる取引先、このどちらでも、電子メールによるコミュニケーションなら時間にも費用にも差はない。大きな設計データの送受信もインターネットなら可能だ。こうしてインターネットは分業を促進する(ネット圧力)。

 垂直統合に固執する理由として、もう一つ、多くの日本企業が雇用の維持を挙げてきた。しかし半導体産業の現状を見ると、その理由はむなしい。多くの日本人半導体技術者が今、新たな職を求めざるを得なくなっている[大下、「半導体技術者 越境のとき」、『日経エレクトロニクス』、2013年11月11日号、pp.27-50]。

工本主義による保護は、工業を元気にはしない

 製造業を重視すべしとの声は、相変わらず日本で高い。その声は決まって理工系学生の製造業離れを心配し、若者の理科離れを嘆く。しかし製造業の雇用は減り続けている(図5)。製造業の雇用が減るときに、若い人たちの関心が製造業から離れるのはやむを得ない。これから就職しようという学生に、彼らを雇わない産業に強い関心を持てというのは無理だ。

図5 産業別労働人口比率の推移 資料:「労働力調査」
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 また製造業とは何かを問う必要がある。設計と製造の分業によって、製造業の再定義が進んでいるからである(連載第7回)。ファブレスのメーカー、ファウンドリやEMSのような製造受託サービス業、そして垂直統合の伝統的製造業、このうちのどれが大切なのか、何を国内に残そうとするのか、それによって、例えば産業政策は変わってくるはずだ。

 日本社会は1970年代に「工業の時代から情報産業の時代」への転換を進めた。私はそう考えている。「情報産業」という言葉は実は日本生まれである。故梅棹忠夫氏が1961年に初めて用いた [梅棹、『情報の文明学』、中央公論社、1988年、p.7]。梅棹氏は人類の産業史を、農業の時代、工業の時代、情報産業の時代と3段階にとらえる。1970年代の日本に起こった産業構造の転換は、梅棹氏が定義した「工業の時代から情報産業の時代」への転換に当たる[西村、『硅石器時代の技術と文明』、日本経済新聞社、1985年]。

 例えば1973年から鉄の生産や原油の輸入が漸減となるなか、シリコン需要は急増した(図3)。同じ1973年から製造業人口比率が減少する(図5)。

 その1970年代は先に述べたように、日本の電子情報通信産業の高度成長期である。このとき日本の電子情報通信業界は、「情報産業」を支える「工業」の部分、ここに特化してしまったのではないか。情報産業の時代に工業が不要になるわけではない。情報産業もハードウエアを必要とする。そのハードウエア製造に集中し、大成功する。そして、その成功体験から抜け出せない。

 工業の勃興を目の前にしたとき、「農業こそ国のいしずえ」と農本主義が唱えられた。情報産業の時代に向かうとき、「ものづくりこそ経済のいしずえ」と工業の重要性が声高に主張される。この主張を「工本主義」と梅棹氏は名付けた [『情報の文明学』、pp.227-240]。

 梅棹氏は言う。「農本主義はつねに商工業の発展に対抗するかたちであらわれる。その意味では、農本主義はひとつの反動イデオロギーである」。同じ現象が工業に現れる。情報産業の発展に対抗するかたちで、「工業こそ国のいしずえ」という反動イデオロギーが発生する。

 梅棹氏は続ける。「工業の時代に、農業は保護産業となった。同じ運命が工業をまちかまえている。情報産業の時代に、工業は保護産業となり、国家の手あつい保護育成によって、かろうじて生存できるようになるのではないか」 [同上、p.229]。

 産業活力再生法によるエルピーダの支援(2009年)、産業革新機構によるルネサスエレクトロニクスの救済(2013年)などの例は、まさに上記の梅棹氏の指摘通りだ。これらの例はまた、日本の産業政策の「ものづくりへの固執」と「自前主義=自国主義」をも示している。

 工本主義による工業保護は、工業を元気にはしないだろう。農本主義による農業保護の結果が、それを示唆する。