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 まずは定石通り、世界の人口急増や先進国の少子高齢化などの人口動態問題から話は始まる。そして、「グローバル化や市場力学の強大化によって国家の機能が変質していく」といったマクロ政策的見地での分析へと話題は進む。その後に中核部分を成す日本の競争力に関する話題にフォーカスされていくわけだが、その大半は先進技術や研究開発体制に関する議論になっている。

 そのカバー領域は、軍事技術からライフサイエンス、感性工学など多岐にわたっており、日本の得意とする「技術」が導き出すであろう未来の社会像が生き生きと描写されている。特徴的なのは技術論の占有量で、本論部分の中の8割強、序章と終章を含めた全体に対しても45%近くを占めることだ。世界の代表的な予測本の中にあって、この偏重ぶりは異様である。

 本書の場合、情念を行間から読み取らずとも、技術論占有率が極めて高いという事実だけで十分に「著者の立場」を理解することができる。つまり、わが国で未来を語る場合には、どうしても自然科学系の技術論が極めて高い比重を持ってしまいがち、ということだ。

日本の生活を豊かにした原動力は「技術」だったが…

 心情としてはよく分かる。戦後70年間にわたり日本が外貨を稼ぎ、高度成長を達成して生活レベルを豊かにせしめた原動力は「モノ作り」であり、それを支える工業力であった。消費財から耐久消費財へ、衣料や雑貨からハイテク工業品へと付加価値を高めつつ、科学技術力を洗練させてきた。

 日本の高度成長が活況だった時間帯に、技術のライフサイクルとしてちょうど成長期にあったのがメカトロニクスやファインケミカルの分野であり、それらの技術分野でわが国の産業は比類なき競争力を獲得することに成功した。技術こそは立国の礎、競争力の源泉であり、読者層にとっては一大関心事だったのである。

 その気分は、今も続いている。私たちは、世界を動かす仕組みに直結するところの、人文科学や社会科学の領域に属する事項に関してはさほど気を配らなくても、技術を磨いていれば成功は手に入るという時期を長く過ごしてきたのである。

 どなた様かがしかるべくして決めた世界のフレームワークやルールの下で、生活に必要となるスグレものの生産販売に邁進していればよかったのである。ところが、前述の技術分野自体は成熟し、急速にコモディティー(汎用品)化が進んでいる。

 そして、技術開発さえ怠らなければ何とかなった時代は終わった。誰にでも調達できる技術を用い、新しい価値を実現、提供すること重要性の方が圧倒的に高まっている。学問領域ということでいえば、狭義のサイエンス=自然科学だけで突破できる時代は終わり、人文科学や社会科学を含む、広い意味でのサイエンスを複合的に運用しなければ競争に勝ち抜けない時代になっているのである。

 ところが、わが国の人文系学問のレベルは、国際基準で見れば決して高いとは言えそうにない。例えば「QS大学ランキング」の結果である。同ランキングは世界の大学の実力を多角的に比較し学科別にランキング評価したもので、英国の大学評価機関クアクアレリ・シモンズ社が実施しているものだ。その評価法に関しては色々な問題も指摘されているが、現実としては広く一般に利用されており、「ランクが高い大学ほど世界に散在する優秀な学生を惹きつけることができる」と解釈されている。