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 小惑星探査機「はやぶさ」の帰還行程と、同「はやぶさ2」の立ち上げ作業は、2006年以降、オーバーラップして進んでいた。が、宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙科学研究所の國中均教授は、はやぶさ2の立ち上げにほとんど関わることはできなかった。はやぶさが帰還できるかどうかは、搭載のイオンエンジンがきちんと運転できるか否かにかかっている。そちらにかかり切りだったのだ。

 その間、はやぶさ2のプロジェクト・マネージャーは、初代はやぶさの軌道決定を担当した吉川真JAXA宇宙科学研究所准教授が務めた。当時は、「初代はやぶさで、一度技術実証を行ったのなら、次の探査機は理学的観測が主目的となる理学の探査機である」という雰囲気が強かった。宇宙研の衛星・探査機は、理学の探査機は理学側が、工学なら工学側がプロマネを出している。

 ここで問題になるのは、「宇宙探査という事業は、理学・工学という区分で割り切れるものなのか」ということだ(「第2回:工学と科学、ニーズ先行とシーズ先行」参照)。この問題には、はやぶさ2が組織上は、JAXA宇宙科学研究所の川口淳一郎教授らが設立したJAXA月・惑星探査プログラムグループ(JSPEC)の探査計画であるということも関係していた。

――國中先生は、はやぶさ2にはどのあたりから、関わるようになったんでしょうか。

國中 2008年とか2009年とか、川口先生ははやぶさ2を実現するべく随分と積極的に動いていましたね。でも、自分は帰還途中のはやぶさにかかりっきりでした。ご存じの通り、小惑星「イトカワ」への着陸とその後の行方不明ではやぶさはあちこちが損傷していて、その状態で帰還のためにイオンエンジンの運転を継続しなくてはいけませんでした(「数多の困難を乗り越え帰還した『はやぶさ』」参照)。とてもではないけれども余裕がなくて、はやぶさ2に関与できる状態ではなかったのです。「何かやっているな」と思う程度でした。
 しかも帰還が近づくと、再突入カプセル回収隊の隊長も拝命しました。回収隊の編成や回収手順の策定、さらには回収地のオーストラリア政府当局との交渉をしなくてはならなくなりました(図1)。はやぶさのイオンエンジンはぴしっと動いてくれないし、交渉は大変だし、とにかく忙しくて、へにゃへにゃになっていましたね。

図1●劇的だった初代はやぶさの帰還(2010年6月13日)
國中教授は、イオンエンジンの運転に携わると同時に、回収隊隊長として帰還に向けた準備の指揮も執った。画像:JAXA
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