「四当五落」で勉強に励む
工学部挑戦を決心した翌日、高校の担任に「東北大学工学部を目指すことにしました」と宣言したところ、教師は私の顔をまじまじと見た後、「よし、がんばれ!」と言ってくれた。私は担任の数学が最も苦手で、ある試験ではほとんど分からないなりにも一生懸命書いて、これなら15点ぐらいはくれるだろうと思ったら、大きな×が付いて0点だったこともあった。だから担任は前から「おまえはどの大学にも入れない」と言っていたので、「何を血迷ったのか?」と笑われることを覚悟していた私は、担任のこの一言にずいぶん救われる思いがした。「不言実行」という言葉があるが、私にとっては「有言実行」こそがすべてのスタートだ。
それからはまさに「四当五落」(睡眠時間が4時間なら合格するが5時間なら不合格になる)を地で行く毎日が始まり、成績はぐんぐん上がっていった。自分なりの勉学スタイルを確立したので家庭教師は3か月で不要になり、「不合格になったらどうしよう?」という不安を頭の中から追い出して、黙々と勉強に励む孤独な受験生活を続けた。ある試験に半徹夜で臨んでからの帰宅後、布団の上で寝込んで気持ちいいなと思ったら寝小便していたことがあった。ある時には真っ赤な血便が出て驚いたが、机に座り続けたための切れ痔と診断された。そうして3年生の最後の方は校内50番と東北大学工学部の当落線上まで成績が上がったが、不合格だった。
一浪の夏に東京の叔父の家に1カ月居候して、駿台予備校の夏季集中講座に参加した。秋の仙台代々木ゼミナールの模擬試験では1000人中7番の成績を取るようになり、東京大学にも合格できると言われた。しかし、下級官吏の薄給で子供4人を育てた親に負担をかけたくなかったので東北大学工学部を受験し、1964年春に合格した。
この時代を振り返るなら、「身の丈を超えた高い目標を掲げ、不安を払拭して一心に取り組めば、大概の目標は実現できるものだ」ということを体得したといえる。