ロータリーエンジンに魅せられ設計原理を学んだ大学生時代

大学に入ったら、再び「好きなことしかやらない」本性に戻った。当時の大学は「入学は難しいが卒業は押し出す」傾向だったので、履修科目のほとんどを追試の連続で取得させてもらった。しかし、内燃機関だけは好きだったので、試験では機械工学150人の学生の中で常に1番だった。ある期末試験で内燃機関の難題が出たとき、私はその問題を解けたのだが、出題した教授が試験後に「この問題は毎年出しているが、解いた学生は君が初めてだ」と語ったほどだ。
その後、内燃機関研究室に入れてもらったが、研究テーマが見つからなかった。大学3年生の9月ごろ、4歳下の弟が「兄ちゃん、最初から回転しているエンジンがあるらしい」と教えてくれたのがロータリーエンジン(以下、RE)である。その瞬間、背筋を電気が走った。そして研究論文も卒業製図もREに決めた。当時、唯一REの実用化に成功していた東洋工業のさまざまな公表資料や、REの本家である独NSU社の論文などをかき集めて読み込んだ。
REは形こそ特殊だが、燃焼理論はレシプロ4サイクルガソリンエンジンと同じオットーサイクルエンジンである。大学のエンジン設計書を読みながら、馬力、トルク、燃費率などの性能や、排気量、圧縮比などの機能仕様を燃焼理論で求め、機能仕様からトロコイドフォーム、ローター表面形状、エキセントリックシャフトの偏心量などの形状仕様を計算で求めた。
困ったのは、各部位の肉厚の決め方だった。設計書には「肉厚は強度・剛性を保証のこと」としか書いてなかったので、適当に各部位の肉厚を定めて強度・剛性を計算し、一定の安全率をもって燃焼圧力に耐えられる肉厚を試行錯誤で求めた。公差については設計書に何も書いてなかったので、適当に決めて図面化した。設計とは、初めに機能を実現する仕様を理論的に求め、次に信頼性を保証する仕様を試行錯誤的に求めることであると体験的に学んだ。後に、製造の工程能力が公差を決める基準であることや、タグチメソッドが公差設計に変革をもたらしたことを知った時、大変に驚いた。

大学でのREの設計経験は、「設計とはどうあるべきか」の設計原理になった。大学は、教養や基礎知識を学ぶ場というよりも、「真理を探究する方法を修得する場」だったと思っている。