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「無差別RE戦略」の始まりと終わり

 1970年、米国では、クルマの排ガス中のCO、HC、窒素酸化物(NOx)を1/10にすることを求める「大気浄化法」(いわゆる「マスキー法」)が制定された。1973年には、日本でも段階的にマスキー法並みの排ガス規制を実施することを目的とした法案(いわゆる「国内版マスキー法」)が決定され、私は国内向け車両の排ガス対策システムを研究していた。

 国内版マスキー法は、エンジン冷間始動時の排ガスが対象になっていないので、規制としては米国のマスキー法よりも緩かった。しかし、マツダは燃費で不利なT/R方式を採用していたこともあり、「ファミリア」クラスのRE車で4.5km/L(10モード)ぐらいだった。実用燃費は3km/L台だったのではないか。その上、RE開発初期の「カチカチ山のタヌキ」*1時代に比べたらよくなったとはいえ、オイル消費が2000km/Lぐらいだったので、5000km走行ごとに高価なオイルを注入する必要があった。自分だったら、こんな燃費やオイル消費が悪い車は絶対に買わないと思った。

*1 漏れたエンジンオイルが燃えて白煙を上げながら走る様子をこうなぞらえていた。

 それでもマツダはRE車をどんどん増やし、ファミリアの他に「カペラ」、「ルーチェ」、「Bシリーズトラック」、マイクロバスの「パークウェイ」などすべての車種にREを採用した。さらには、オーストラリアのGM Holden社輸入した車両にREを搭載して「ロードペーサー」として売り出した。

「パークウェイ」(写真:マツダ)

 パークウェイの実用燃費は、2km/L台だったか。販売台数は2年間でわずか44台といわれる。当時の価格で1台400万円近くした44台のお客さんはどうなったのだろう、と今でも胸が痛む。