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ホンダの成功に焦り

 1972年にホンダの「CVCC(Compound Vortex Controlled Combustion)エンジン」が世界の自動車メーカーで初めてマスキー法の基準を満たしたことで大きな話題となった。マツダも負けじとREで挑戦し、1973年にクリアした。

 この米国マスキー法対応RE車の開発を担当したのは私と同期の入社4年目の同僚だったが、「一刻も早くクリアせよ」との命令を受けた同僚は、T/R方式で混合気を濃くして(A/Fを下げて)、エアポンプを大型化することで対応した。当然ながら、燃費も無茶苦茶だった。T/Rが高熱によって短期間で破損したり、T/R内部の熱腐食による酸化粉をRE本体が吸い込んでエンジンの耐久性を大幅に悪化させたりする問題もあった。

 こういったREの問題は、当時の松田耕平社長にほとんど伝わっていなかったか、正確に伝わっていなかったのではないか。正確に伝わっていたら、いくらワンマンといわれた社長でも、すべての車種をREに切り替え、製造工場をレシプロエンジン設備からRE設備にどんどん切り替えるということはしなかったはずだ。

 私が1968年にマツダに入社した時、社内にREを搭載したトヨタ自動車の「クラウン」が置いてあった。聞いたところ、トヨタからの引き合いでクラウンにREを搭載して提供したら、返却されてそのままになっていたとのことだった。トヨタは、REに将来性はないといち早く見抜いたのではないか。一方、マツダは地獄に向かって突き進んだ。

 おりしも、そこに第1次石油ショックが勃発した。マツダの幹部社員は在庫として積み上がっていた大量のRE車を買わされ、燃費の悪さにへきえきし、早々に手放した。米国では、燃費と耐久性の悪さに対する大規模のクラスアクション(集団訴訟)が発生し、その対応のために優秀な社員を付加価値のない仕事に投入せざるを得なくなった。