PR

うわーっ、押しつぶされるー!

 EPAからの訪問を受けた後、米ワシントンD.C.のEPA本部に呼び付けられた。マツダの北米オフィス(MNAO:Mazda North American Operations)は優秀で頼りがいがありそうな一人のコンサルタントを雇っていたので、彼と共に「これは我々の問題ではない。AMAモードが市場の走りを代表していない」とか「米国市場の無鉛ガソリンにまだ鉛が微量に混在していて触媒が鉛被毒を起こしたことに問題がある」などの屁理屈をたくさん用意してEPA本部に向かった。しかし、全く議論にならず「リコールせよ」の一声で話は終わった。コンサルタントが何だかんだと抵抗してくれることを期待していたが、彼は一声も発しなかった。日本の本社に電話したら、EPAを相手に法廷闘争して勝てる自信はないとのことだった。

 事前に担当設計者から「RX-7がリコールになったら70億円掛かる。そのときはお前が全米を回ってリコールして来い」と言われていた。設計者として無力だった残念さの裏返しから出た言葉だろうが、70億円はあまりに重かった。ホテルに帰ってウイスキーをがぶ飲みしても全く寝付けない。会社と同僚とその家族に大きな損害を与えてしまった、これからどうしよう、辞表を出しても70億円には何の役にも立たない、一生かけて全米を回ってリコール作業することもあり得ない。午前3時ごろ、ベッドでうつらうつらしていたら突然ホテルの天井が落ちてきた。“うわーっ、押しつぶされるー!”とベッドから転げ落ちた。幻覚だった。

 本社に戻っても腑抜けの状態で宙をさまよっていたような感じだった。そして、2週間目に思い至った結論が「一生かけて“倍返し”」だった*2。一生かけてマツダに140億円もうけさせよう。自分がこれから生きていく上で結論はそれしかなかった。

*2 30年以上前に私の発した言葉がなぜ2013年になって流行語大賞になるのか?

 後日、R&D本部長の下へ実験部長と共にリコールの報告に出向いた。私が謝罪すると、R&D本部長からは「二度とするなよ」の一言だけだった。どんなに怒られるかと覚悟していたのでほっとしたが、拍子抜けでもあった。その後、私が同期の中で真っ先に課長に昇進したのも、リコールを会社が不問にしたからだったと感謝している。だが、問題の本質を特定して再発防止を図ろうとせず、「まあ、まあ」とすぐに水に流す体質は、マツダを成長させにくくした一因だったとも思う。